岡山県の最南端。
鷲羽山の南に「久須美ヶ鼻」という場所があります。
その久須美ヶ鼻の上に、大畠にある大宝寺の奥の院、大師堂があります。
ここが入口になります。
左にある石柱。
右側の石柱。
真ん中の石柱には「嘉永」の年号がありました。
看板には、この大師堂の縁起が書かれていました。
寛政11年(1798)、当時の住職法印瑞道和尚が、この久須美ヶ鼻で修行中、目の前の海に大亀が浮上し、その甲羅の上に弘法大師の尊像が乗っていた乗っていたということ。
和尚は、久須美ヶ鼻にお堂を建て、その尊像を安置したそう。
昭和30年(1955)、総本山仁和寺から秘仏不動明王像を特別に賜り、「鷲羽山不動明王」と称して、安置をされているそうです。
道を進むと、左手に、このような石塔が。
右手には、このような石塔が。
「一如法師」と書かれていますね。
後ろの石板が、この「一如法師」の説明でしょうが、よく読めませんでした。
この一如法師とは、明治初めの大宝寺の住職だそうで、この大師堂の保存に尽力をした人だそう。
更に、道を進むと、右手に、このようなお地蔵さんが。
さて、境内に入ると、左手に「一願地蔵」が。
文字通り、一つのお願い事をするお地蔵さんなのでしょう。
右手には、「日切地蔵」が。
この「日切地蔵」とは、「いつまでに願い事を叶えてください」と、期限を決めて、お願いをするお地蔵さんだそう。
日切地蔵の隣に、四つの石柱が。
境内、左手にある建物。
そして、こちらが、大師堂のようです。
大師堂の裏に、小さなお地蔵さんが。
さて、この久須美ヶ鼻の上にある大師堂ですが、周囲を木々に囲まれ、見晴らしは、あまり、良いものではないです。
やはり、景色を楽しむには、鷲羽山展望台に行った方が良いですね。
さて、この「久須美ヶ鼻」は、岡山県の最南端で、四国に最も、近い場所。
かつては、この久須美ヶ鼻の西にある下津井から、四国に渡るのが、一般的だったよう。
しかし、明治時代に、宇野港が出来、宇野、高松航路が出来てから、人の流れは、そちらに移ってしまった。
下津井電鉄は、そもそも、その人の流れを取り戻そうとして出来たものだそうですが、上手く行かなかった。
しかし、瀬戸大橋が出来ると、宇野、高松航路は無くなり、今度は、宇野から人の流れが無くなることに。
やはり、人の流れは、重要ですね。