さて、「相対性理論」に続き、同じ文庫で、「量子論」に関するこの本を読みましたが、こちらも、なかなか、面白く「量子論」にもまた、興味を持ったところ。

 

この「量子論」は、「相対性理論」以上に、複雑、奇妙で、分かり辛い。

まさに、一般常識の通用しな世界で、「このようなことが、現実に、起こりえるのか」と、疑問に感じることばかり。

しかし、この「量子論」が、今の物理学の最先端であり、この「量子論」が登場する以前の物理学は「古典物理学」と言われているよう。

つまり「相対性理論」もまた「古典物理学」の中の、一つ。

 

 

この「量子論」の「量子」とは、非常に、小さい物質のこと。

例えば、「素粒子」のようなもの。

 

物質は、次第に、小さくして行くと、「分子」になり「原子」になる。

そして、「原子」は、「電子」と「原子核」に分かれる。

この「電子」は、それ以上、分割の出来ない「素粒子」ということになる。

 

そして「原子核」は「陽子」と「中性子」に分かれる。

この「陽子」は、二個の「アップクォーク」と、一個の「ダウンクォーク」に分けられる。

そして「中性子」は、二個の「ダウンクォーク」と、一個の「アップクォーク」に分けられる。

この「クォーク」が、「素粒子」ということになる。

 

この「素粒子」とは、それ以上、分割をすることが出来ない、この世の物質の最小単位ということになる。

そして、この「素粒子」の世界は、常識の通用しない、不思議な世界。

 

具体的に言うと、例えば「電子」というもの。

 

この「電子」は、「粒」であるのと同時に「波」でもある。

と、言っても、普通の人には、理解をすることが出来ないでしょう。

普通、電子は、「波」のような状態として存在をし、誰かが観測をした時点で「粒」になります。

なぜ、このような不思議なことになるのか。

理由は分からないようですが、そうなっているので、仕方がない。

 

つまり「量子」というものは、誰かが「観測」をするまで、その状態が「分からない」という不思議なことになっている。

それは、一般的な常識で言うと「決まっているのだけれども、誰も、見ていないので知らない」ということになると考えるのですが、そうではなく、そもそも、「誰かが観測をするまで、何も、決まっていない」というのが「量子」です。

それは、「全く、何も、決まっていない」という訳ではないようで、その「量子」の振る舞いを、確率的に、計算で、予測することは可能のよう。

それが「シュレーティンガー方程式」と呼ばれる方程式。

 

この「量子論」は、「相対性理論」のように、一人の天才科学者が作り上げたものではなく、数多くの天才たちが、次第に、様々な研究を積み上げて行く中で、発展をして行ったもの。

もちろん「シュレーティンガー」も、その中の一人。

 

実は、アインシュタインもまた、この「量子論」の発展に、大きく寄与している。

アインシュタインもまた、当然、ノーベル物理学賞を受賞している訳ですが、それは有名な「相対性理論」で受賞をしたのではなく、アインシュタインが受賞対象となったのは「光量子仮説に基づく、光電効果の理論的解明」という研究。

 

この、アインシュタインが提唱した「光量子」というもの。

 

当時、「光」は「波」であるという考えが一般的だったのですが、アインシュタインは、「光」は「粒」でもあると考えることで「光電効果」の解明をすることになる。

 

この「光」は「波」であり、また、同時に「粒」でもあるという考えは、まさに「量子論」につながるもの。

そして、アインシュタインもまた「量子論」の研究に、深く、関わることになる訳ですが、「量子の振る舞いが、確率的にしか決まらない」という「量子論」の考え方には、否定的だったそう。

 

「神は、サイコロを振らない」

 

これは、アインシュタインが「量子論」の考えを否定した有名な言葉。

 

しかし、「量子論」の正しさは、今となっては、疑いはない。

なぜ、そうなるのか分からないのですが、そうなるということは間違いない。

そして、「量子力学」は、今、あらゆる物理学に関わり、それを無視することは出来ない。

 

これもまた、僕の頭脳では、ほぼ、理解することが出来ないというのは、残念なところ。

天才が、羨ましいですね。