大崎地区にある「大崎八幡宮」に行ってみました。
尾坂峠を、田井方面から大崎方面に下ると、左手に、小さな「島」のような丘が見えます。
そこからも撮影をしたかったのですが、丁度、近くのため池の工事のために、交通規制がされ、車を止める場所もありませんでした。
残念。
近くに車を止め、大崎八幡宮のある「宮山」へ。
宮山の手前。
左側の石柱の裏には、昭和19年の年号がありました。
宮山、入口の鳥居。
太陽光が反射をして、白く、光ってしまいました。
鳥居を入ると、右手に、大崎八幡宮宮山の説明のための看板が。
最初の鳥居をくぐり、しばらく、石段を登ると、第二の鳥居が。
途中には、このような石灯籠が、四つ、ありました。
そして、宮山山頂、大崎八幡宮、入口。
入口を入ると、左右に石灯篭と、狛犬が。
正面にあるこの建物は、何でしょう。
そして、左手に本殿。
この拝殿は、平成3年に火災に遭い、平成5年に建てられたものだそう。
本殿、裏手。
本殿の左手、奥には、このような小さな祠と、石が。
そして、このような石と祠も。
由来が知りたいところです。
宮山、西方から撮影。
この山は、かつて、周囲が海の「島」だったということになる。
宮山、右、拡大。
宮山、左、拡大。
かつて、島だったこの山の周辺の海は、潮の流れが速く、渦を巻いていたので、土地の人たちは「大崎八幡宮」のことを「渦の宮」とも呼んでいたそうです。
さて、今日、ここに来てみたのは、ある目的が。
この「大崎八幡宮」についての説明をネットで見ると、昭和32年、現在の第一鳥居の北方、100メートルの干拓地用水路の工事中に、厳島の宮島のような「両部鳥居」の「両脚り株」が発見をされたということ。
これは、調査の結果、平安時代末期に、海中に立てられた鳥居だったということが分かったということです。
つまり、この「大崎八幡宮」には、かつて、厳島の宮島のように、海の中に鳥居が立って居たということ。
その痕跡が探せないかと思っていたのですが、そもそも、この宮山の北側に行くための道を見つけることが出来ませんでした。
残念。
この宮山もまた、厳島のように、「島」全体が「神」として祭られていたのかも。
この「大崎八幡宮」が創建されたのは、承久2年(1220)だそうです。
前年に、鎌倉幕府将軍、源実朝が、鶴ケ岡八幡宮に参拝した時、大地震があったため、所々に八幡宮を設置したそうですが、その時の一つだそう。
調べると、まだまだ、色々と面白いものがありますね。