水木しげるさんの自伝本「ほんまにオレはアホやろか」。

この本は、漫画ではなく、文章と、イラストで書かれている。

漫画の自伝本としては、「水木しげる伝」がありますが、内容としては、当然ながら、大きく差がある訳ではない。

しかし、多少の違いはある印象です。

どちらかに、書かれていることもあれば、書かれていないこともある。

両方を読めば良いのでしょうが、どちらかと言えば、こちらの「ほんまにオレはアホやろか」の方が、内容の情報量は、多い感じ。

つまり、水木さんの人生を、より、詳しく、知ることが出来るということになるのかも。

 

 

この本は、最初に出版をされたのが、1978年ということで、今、読んでみると、差別的な表現も含まれている。

これまでに、様々な出版社から、出版をされ続けているよう。

それだけ、人気があるということなのでしょう。

 

なぜ、水木さんの自伝に、人気があるのか。

それは、やはり、水木さんの「特異な個性」によるものなのではないでしょうかね。

言わば、「常人ではない」感性と、行動力の持ち主。

恐らく、今の時代なら(もっとも、水木さんが生きていた当時も、そうでしたが)、水木さんは「社会不適応者」ですよね。

社会の決まり事、組織のルールを守りながら生きて行くということは、水木さんには不可能。

しかし、その水木さんの生き方に、多くの人が魅了されている。

僕も、その中の一人。

 

この本の後書きを、呉智英さんが書いているのですが、まさに「これだ」という文章がありました。

水木さんは、男として「理想」だということ。

しかし、水木さんをお手本にして生きるとか、努力をして水木さんのようになろうとうことではない。

「こんなふうに生きている男が居たのか」

と言う、緊張感が解けるような、心をほぐしてくれるような、「究極の男」だということ。

 

そして、水木さんの人生は、「奇蹟」の連続でもある。

 

あの、戦争で、水木さんが生き残ることが出来たのは、まさに、奇蹟的なこと。

そして、日本に戻って来たものの、待っていたのは「極貧」の生活。

様々な職業を転々をし、住む場所を変え、たどり着いたのが、「紙芝居」を描くという職業。

しかし、「紙芝居」は、急速に衰え、「貸本漫画」に移る訳ですが、この「貸本」もまた、斜陽の業界となっていた。

しかし、「もはや、絵を描くことしか自分には出来ない」と、とにかく、漫画を描き続けることになるのですが、描いても、描いても、「極貧」からは抜け出せない。

 

働いても、働いても、「極貧」生活が続くというのは、とても、苦しいことだと思いますが、水木さんには、「悲壮感」というものは、無かったそうです。

なぜなら、「自分は生かされている」という信念のようなものがあったからだと、水木さんは、この本に書いていました。

 

人は、生かされている。

 

確かに、それは、そうですよね。

誰からも、必要とされなければ、人は、生きて行くことが出来ない。

誰かが、自分のことを必要としているから、社会で生きて行くことが出来る訳で、逆に言えば、「自分は、周囲の人たちによって、生かされている」ということ。

だから、自分が生きている間は、「何とかなる」と思って、生きて行くことが出来たのでしょう。

 

しかし、誰もが、水木さんのように生きることが出来るのかと言えば、それは、不可能なこと。

だから、水木さんの自伝を読むと、なんだか、ほっとした、良い気分になるのかも。