かつて、東北地方に住んでいた「蝦夷」と呼ばれた人たち。
朝廷による「和人」たちの支配が、次第に、北上し、「蝦夷」たちは、存在感を失って行くことになる。
有名なのは、平安時代の初期、「蝦夷」のリーダーである「阿弖流為」と、朝廷側の征夷大将軍「坂上田村麻呂」の戦いでしょう。
阿弖流為は、坂上田村麻呂に敗れ、「蝦夷」は、朝廷によって支配されることになる。
しかし、まだ、東北地方は、完全に、朝廷の支配下になった訳ではないようですね。
そこに登場をするのが、「蝦夷の末裔」の人たち。
東北地方は、東を「陸奥国」、西を「出羽国」と、二つの国に分けられる。
そして、陸奥国では、一時、朝廷の支配が後退をした形跡があるよう。
そこに登場したのが「奥六郡」と呼ばれる地域を支配した「安倍氏」です。
安倍氏は、朝廷に反乱を起こす。
この「安倍氏」と、源頼義との戦いが「前九年の役」と呼ばれるもの。
この本によると、源頼義は、どうも「名将」という訳ではなかったようですね。
苦戦に次ぐ苦戦で、安倍貞任に追い詰められた源頼義は、出羽国の豪族「清原氏」に支援を頼むことになる。
なかなか、源頼義の申し出を受け入れなかった清原氏ですが、ついに、重い腰を上げ、清原武則が軍を率いて陸奥国に入ると、あっという間に、安倍氏を滅ぼしてしまった。
安倍氏を滅ぼした清原氏は、出羽国、陸奥国で、大きな勢力を持つことになる。
これは、いわゆる「武士」が、広域支配をした最初の例だと、どこかの本に書いてあったのを覚えています。
しかし、この清原氏は、後継者を巡って、内紛を起こすことになる。
この清原氏の内紛に、源義家が介入をしたのが「後三年の役」です。
そして、この「後三年の役」の結果、あの「奥州藤原氏」の祖「藤原清衡」が登場することになる。
ちなみに、安倍氏、清原氏、共に「俘囚の長」と言われいますが、安倍氏は、元々、「蝦夷」の血を引く人たちで、「清原氏」は、朝廷側の人間が、出羽国に下り、勢力を持った可能性があるそうです。
しかし、やはり、詳しいことは分からないということ。
史料は、乏しいもののようです。