今日の新聞に、個人的に興味深い記事が、一つ。

それは、岡山県赤磐市で、新たな「木喰仏」が発見をされたというもの。

 

この「木喰仏」を作ったのは、「木喰上人」と呼ばれる人。

 

1718年(享保3年)、甲斐国の生まれ。

前半生は、ほとんど謎のようで、確かな史料から分かることは、22歳で出家、45歳で日本廻国の大願を起こし、この頃、「木喰戒」を継いで「木喰上人」となる。

56歳で、日本廻国を開始し、62歳から、仏像の制作を始めたそう。

蝦夷地から、九州宮崎まで、全国を歩き、仏像を彫り続ける。

1810年(文化7年)、93歳で、没。

 

 

この本は、全国各地に残された「木喰仏」をたどりながら、木喰上人の生涯を追ったもの。

仏像の写真は、小さく、モノクロですが、木喰上人の人生と、木喰仏を知るには、分かり易くて、良いのではないでしょうか。

 

この「木喰上人」と並んで、日本各地を歩き、仏像を制作した人として有名なのが「円空」でしょう。

 

円空は、1632年(寛永9年)に生まれ、亡くなったのは1695年(元禄8年)となる。

円空が廻国したのは、岐阜、愛知から蝦夷地にかけての東日本が中心のよう。

 

 

この本は、「円空」と「木喰」についての本。

元々は、別々の本だったものを、一冊にまとめたもののよう。

「円空」については、著者の「円空仏」をたどる旅の話といった感じ。

「木喰」については、木喰上人の人生と、廻国の様子を辿ったもの。

 

「円空仏」は、粗削りで、角張った感じの、厳しい雰囲気を持った仏像。

「木喰仏」は、丸っこく、柔らかい感じで、優しい雰囲気を持った仏像。

どちらかと言えば、僕は、「木喰仏」の方が、好きです。

 

この「円空」や「木喰」のように廻国、遊行をしながら、各地で仏像を彫った「聖」は、他にも、何人も居たようですが、今、その仏像が「芸術品」として、高く、評価をされているのは、「円空仏」「木喰仏」だけでしょう。

しかし、「円空仏」にしろ「木喰仏」にしろ、その地域の人々の信仰のために彫られたもので、美術品とした飾られたり、「価値があるから」と言って、厳重に、保管をされたりしては、円空にしろ、木喰にしろ、不本意なのではないでしょうかね。

 

それにしても、56歳から、全国廻国を始め、93歳まで、日本各地を歩き続けたというのは、尋常ではない身体の持ち主ですよね。

これは、江戸時代はもちろん、今、現在の人でも、恐らく、不可能なのではないでしょうか。

そして、木喰上人が、仏像を彫り始めたのは62歳の頃からということで、これもまた、特別な才能を持っていたとしか言いようがない。

 

しかし、これまで、「円空仏」にしろ「木喰仏」にしろ、様々な人が、日本各地を探して歩いているのでしょうから、未だに、未発見のものが見つかるというのは、驚きです。

実際に、2015年に、岡山で「木喰仏」の展示会が行われた時にも、岡山県内で調査が行われたそうですが、その時は、発見をされなかったということ。

 

まだ、これからも、「円空仏」「木喰仏」の新発見が、あるのでしょうか。

期待をするところですが。