昨日は、黄砂が来るという話でしたが、夕方からは、雨も降り、今日は、どうなるかと思っていましたが、朝は、曇り空。
写真の中央、遠方に、大きな船が停泊しています。
拡大してみます。
この船は、恐らく、直島、そして、恐らく、三菱マテリアルに荷物を運び込むために、ここに停泊をしているのでしょう。
直島に三菱マテリアルの精錬所が建設されたのは、大正6年だそうですね。
なぜ、離島に、精錬所が作られたのかと言えば、当時、大きな問題になっていた、精錬所の煙突から出る「煙」による害のため。
この直島の三菱精錬所、そして、玉野市の日比にある日比精錬所からでる煙の「煙害」のため、かつて、玉野市の山々は、木々や草の生えない「禿山」だったそう。
以前、宇野にあるメルカの図書館で、玉野市の市政何十周年かの写真展を見ていると、昔の玉野市の写真の山々が、完全な「禿山」でることが事実だったことに驚きました。
かつて、玉野市の人たちは、このような環境の中で暮らしていたのかと。
僕が子供の頃は、まだ、山々が「禿山」だった頃の名残がありました。
僕が子供の頃、近くの山は、格好の遊び場でした。
なぜなら、その山は、山頂から、東に延びる尾根、そして、南側の斜面には、木も草も無く、子供たちが走り回って遊ぶことが出来ました。
そして、景色が、非常に、素晴らしく、瀬戸内の海、そして、四国の山々、そして、当時、海の大動脈だった宇野港と高松港を結ぶフェリーが、何隻も海を走る様子が、よく見えました。
しかし、今では、その山頂まで、木々が生え、緑に覆われている山の姿が見える。
もはや、下の景色も見えなければ、子供が遊ぶようなスペースも、山の上には無いのではないですかね。
子供の遊び場が無くなり、残念なのか。
それとも、緑が戻り、喜ばしいことなのか。