樋口一葉に関しては、個人的に、思い入れが強く、作品に関しては、追々、一つ、一つ、紹介をしたいところ。
そして、樋口一葉に関しては、その生涯が、とても、関心を引く。
24歳という若さで、肺結核で亡くなる。
そして、今でも「名作」と評価をされる一連の作品が執筆されたのは、亡くなる前、ほんの一年半の間のこと。
当時、高名な作家だった幸田露伴、森鴎外らから、非常に高く、評価を受けた樋口一葉は、一躍、有名作家となりましたが、すでに、人生は、残り少なかった。
もし、生きていれば、「名作」と呼ばれる作品を、次々と発表していたに違いない。
どても、惜しいこと。
そもそも、なぜ、一葉が小説を書くことになったのか。
それは、「極貧」の生活から抜け出すため。
本来、家を継ぐはずだった長男を早くに亡くし、次男は、両親と折り合いが悪く、勘当をされて家を出ている。
更に、父親が、借金を残して亡くなったため、一葉は、17歳で、「戸主」として、母親、妹、そして、自身の生活を、経済的に支えなければならなくなる。
現在でも、17歳の少女が、家計の大黒柱になるというのは、無理な話でしょう。
しかも、明治という時代。
女性が、満足に収入を得られる仕事は、ほぼ、存在しない。
いくつかの仕事をしながら、常に、借金に走り回る日々。
相場をやってみようとして高名な相場師、占い師を訪ねてみますが、「妾にならないか」と言われる始末。
駄菓子屋を開いてみますが、経営が上手く行かず、すぐに閉店。
その中で、「小説を書くことで、高額の原稿料が得られる」と知り、自身も小説を書いてみることに。
当時、人気作家だった半井桃水に師事し、小説を学ぶ。
当初は、なかなか、上手く行かず、しばらくは苦労をしますが、次第に、その才能は開花し、その作品は、高い評価を得ることになる。
そして、多くの人たちが樋口一葉を訪ね、一葉の家は、一種の「サロン」のようになったそうですが、間もなく、一葉は肺結核に倒れる。
樋口一葉の一連の作品は、「名作」であることに違いない。
しかし、文語調の古い文体は、今では、そのまま、読んで、理解することが出来る人は、まず、居ないのではないでしょうか。
そのため、今、一葉の作品を読む時には、「注釈」が欠かせない。
この本は、ページごとに、難しい語句、表現に、詳しい注釈がついているので、分かり易い。
ちなみに、樋口一葉の「現代語訳」というものもあるようですが、樋口一葉は文章もまた、大きな魅力なので、「現代語訳」は、お勧めしない。
そして、樋口一葉は、「日記」も残している。
この「日記」は、完全にプライベートなものというよりも、他人が見ることを前提とした「日記文学」のようなものだという話も。
これは、一葉の「日記」の中から、重要な部分をまとめたもの。
一葉の生活の日常、そして、心の中が書かれている。
そもそも、当時、女性が、「小説家」として、生計を建てようということ自体、無謀なことだったようですね。
しかし、一葉の才能は、それを可能としかけた。
当時、一葉以外にも、小説を書く女性は、一応、存在をしていたようですが、その中で、今でも、「名作」と呼ばれる作品と、作家として名前を残しているのは一葉、一人だけ。
それだけでも、一葉の小説に賭けた思いの強さが、よく分かるというものです。