村澤昌夫さんの漫画「水木先生と僕」。

この本の著者、村澤さんは、長年、水木しげるさんのアシスタントを務めた人で、これほど長く、水木さんと一緒に仕事をしたアシスタントは、この村澤さんだけということのよう。

 

 

村澤さんが、水木さんのアシスタントになる経緯や、水木さんとの日常、仕事の様子、他のアシスタントとの話など、色々と、興味深い話が、たくさん、描かれていて面白い。

 

さて、漫画家の「アシスタント」というもの。

恐らく、多くの人が、自分自身、漫画家になることを目指し、そのために、有名漫画家さんのアシスタントをしているのでしょう。

今では、どうなのか知りませんが、昔は、すでに、プロとして漫画を描いている漫画家さんにアシスタントの仕事を依頼することも多かったようですね。

手塚治虫さんが、様々な若手漫画家に声をかけ、仕事を手伝ってもらっていたのは有名な話。

水木しげるさんも、つげ義春さんや、池上遼一さんなど、すでにプロとして活躍をしていた漫画家さんに、アシスタントを依頼していたよう。

ちなみに、「釣りキチ三平」で有名な矢口高雄さんは、漫画家を目指して上京し、アシスタントになるために、水木さんの元を訪ねたのですが、すでに三十歳という年齢もあり「銀行員を続けた方が良いのではないか」と、採用をしてもらえなかったとか。

 

ちなみに、アシスタントが、当時のことを回想した漫画が、もう一つ。

それは、藤子F不二雄さんのアシスタントをしていた、えびはら武司さんが、当時を振り返って描いた漫画。

 

 

 

 

この、えびはら武司さんは、あの「まいっちんぐマチコ先生」の作者として有名。

えびはらさんが藤子F不二雄さんのアシスタントをしていたのは、ちょうど「ドラえもん」の連載が始まった頃のようで、その経緯、秘話なども、詳しく、描かれていて、面白い。

 

ついでに、もう一つ。

 

片倉陽二さんは、藤子F不二雄さんの信頼厚いアシスタントだったそうですね。

片倉さんは、あの「ドラえもん百科」という漫画を描いた人で、「ドラえもん」の多くの設定、逸話は、この「ドラえもん百科」から生まれたそう。

これらは、ファンの間では「片倉設定」と呼ばれるそうですね。

しかし、それは、その後、改定されたものも多く、今でも、全てが、公式設定として使われている訳ではないそう。

子供の頃、この「ドラえもん百科」や、片倉さんの漫画「アカンベー」「のんきくん」など、大好きでした。

 

 

ちなみに、この上の本も、片倉さんが描いたもの。

子供の頃、漫画家は、憧れの職業で、この本も買って、読みましたが、そもそも、絵が描けないので、漫画家の夢は、夢のまま。

 

片倉さんは、48歳という若さで、急死をしたそう。

残念です。