田井から、八浜、大崎方面に抜ける「尾坂峠」の道があります。

今では、尾坂峠を通らなくても、すぐ脇を走る「尾坂トンネル」を通る人が多い訳ですが、この「尾坂トンネル」が出来るまでは、この「尾坂峠」を越える道が、メインの街道だったはず。

 

この街道の、ちょうど、頂点の、まさに「峠」のところに、このよな石仏があります。

 

 

この石仏。

明らかに「お地蔵さん」ではないので、昔から、何なのだろと思っていたのですが、隣に立ててある木札を見ると「馬頭観音」のようですね。

「馬頭観音」とは、かつて、人間と一緒に生活の中で生きていた馬や牛などの動物を供養する観音様だと聞いたことがあるような記憶があります。

この「尾坂峠」は、田井方面から登ると、かなりの急斜面で、馬が荷車などを引いて登るのも、相当、困難があったことでしょう。

もしかすると、この峠道を通る時に、命を落とした馬や牛なども居たのかも知れない。

その供養のために、置かれたのでしょうかね。

ちなみに、横の立て札には、馬頭観音の「真言」が書かれているようでした。

この馬頭観音に向かって、この「真言」を唱えて下さいということなのでしょう。

 

さて、この「尾坂峠」のすぐ下を、「深山用水」が通っています。

この「深山用水」は、江戸時代に、今の「深山公園」に作られたため池から、田井に向かって水を引いたものだそう。

 

 

 

 

 

 

一見、落ち葉に埋もれた、ただの側溝のようですが、ちゃんと看板もあります。

もちろん、コンクリートの枠は、近年になって整備のために作られたものなのでしょう。

 

さて、尾坂峠から田井方面に下り、住宅地の脇道に入ったところで、このようなものを見つけました。

 

 

恐らく、この住宅地の中の細い道が、かつては、メイン街道だったのでしょう。

建物の中には、数体の「お地蔵さん」が置かれていましたが、もしかすると、かつては、別々の場所に置かれていたものが、ここに集められ、置かれたのかも。

 

そして、隣にあるのは、道しるべのための石柱。

 

 

「東、小串、西大寺」「西、秀天」「南、日比港」「北、八浜」の文字が刻まれていました。

この石柱も、もしかすると、他の場所から、ここに移動をされたものなのかも。

「小串」と「西大寺」が書かれているということは、昔は、小串から西大寺に向かう船が出ていたということなのでしょう。

 

さて、いよいよ、年が明けましたね。

今年は、どのような年になるのか。