玉野市、玉にある商店街。

 

 

南側、正面から。

左側の空き地には、僕が、子供の頃には、パン屋と、カバン屋があった記憶が。

当時は、非常に、賑やかな場所で、今では、取り払われていますが、アーケードの屋根がありました。

夏には、毎週、土曜日の夜には、「土曜夜市」が開催され、アーケードの下の通りには、夜店も出ていた記憶があります。

 

 

正面から入って、すぐの場所、左側に、「船舶無線」の看板が。

「船舶無線」とは、電気屋の名前で、僕が、中学生の時には、レンタルビデオもしていて、友達と借りに来ていました。

 

 

そして、玉商店街の中には、紳士服の「はるやま」の店舗があります。

この「はるやま」は、この玉商店街が発祥だと聞いた記憶があるので、恐らく、ここが、「はるやま」の一号店ということになるのでしょう。

ちなみに

手前の工事中の建物は、かつて、歯医者だった場所で、子供の頃に、通っていました。

 

 

確か、この青い壁の建物は、かつて、「つばめ屋」という、おもちゃ屋だったような記憶が。

この商店街の中では、唯一の、おもちゃ屋だったと思います。

 

 

そして、「関西楽器」。

よく、ここには、CDを買いに来ました。

宇野の「天満屋ハピータウン」が、今の場所に移った時に、ここは閉店し、「天満屋ハピータウン」に店が移ったのですが、もはや、CD屋というのは、どこも、閉店をし、残っていない。

残念ですが。

 

 

右側、手前の空き地には、かつて、回転寿司の店があったと思います。

確か、玉野市で、最初の、回転寿司のお店だったような。

そして、その奥の、空き地の隣の家には、当時、まだ、珍しかった、セルフのうどん屋が。

確か、「らくらくうどん」という名前だったと思います。

子供の頃、親と一緒に、よく食べに来ました。

 

今の時代、日本全国で、「商店街」というものが、寂れてしまっているのでしょう。

もっとも、例外もあるのでしょうが、多くが、店を閉じ、いわゆる「シャッター街」になっているのだろうと思います。

この、玉商店街も同じ。

 

かつては、地域の住民は、多くが、歩いて、または、自転車で、こういった商店街に、買い物に集まっていたのでしょう。

しかし、多くの人が、車を持ち、車で買い物に出かける時代。

まずは、駐車場がある店ではないと、買い物には行かない。

そして、出来るだけ、安いお店を探して、そこに、車で出かけて行く。

商店街は、個人のお店の集まりで、どうしても、「安売り」という点では、大型店には敵わないのだろうと思います。

 

子供の頃の、地域が賑やかで、楽しかった頃の記憶。

懐かしい感じですが、もう戻ることは出来ないんですよね。