和田地区に、「児島高徳ゆかりの井戸」というものがあります。

 

 

どうも、この井戸には、「児島高徳が、産湯に使った」という伝承があるそう。

 

 

井戸についての説明看板。

 

この看板によると、この辺りの地名である「和田」は、この辺りを支配した「和田氏」から付けられたということのよう。

それ以前は、「利生庄」と呼ばれ、江戸時代には「利生村」、そして、明治時代に「利生村」と「向日比村」が合併し、「和田村」となったというころ。

 

さて、児島高徳について。

 

児島高徳は、「太平記」で、南朝方として活躍をした人物。

しかし、「太平記」以外に、確かに史料は残っていないそうで、かつては、実在が疑われていたそう。

しかし、今では、実在はしていたというのが、有力だそうです。

しかし、どこで、生まれたのかというのは、はっきりとしたことは分からないということ。

つまり、ここにある井戸も、あくまで、伝承に過ぎない。

戦国時代に備前国を支配した宇喜多氏も、この児島高徳の子孫という話があるようですが、それは、確かではなく、恐らく、作り話でしょう。

 

 

途中に、黄色い花が。

ネットで調べてみると、似たような花が、たくさんあるので、どれがそうなのか、素人には、よく分かりませんでした。