渋川海岸、水族館の前に、西行法師の銅像があります。

 

なぜ、西行法師の銅像が、渋川海岸にあるのかと言うと、西行法師が、この渋川海岸で歌を詠んだからということのよう。

その歌に関する話が、ここに書かれています。

 

 

 

西行法師とは、平安時代末から鎌倉時代にかけての人。

本名を、佐藤則清と言い、「北面の武士」を務めたエリート武士だったのですが、突然、その地位を捨てて、出家。

旅をしながら、歌を詠むという人生は、後の多くの人たちの憧れになったということ。

様々な逸話に彩られた、伝説的人物でもある。

ネットで調べると、仁安3年に、崇徳院の白峯菱陵を訪ねるために四国に渡っているそうで、渋川海岸を訪れたのも、その時のことなのでしょう。

ちなみに、崇徳院は「保元の乱」で後白河天皇に敗れ、讃岐国に流され、そこで亡くなっている。

 

そして、渋川海岸から、大槌島、小槌島と呼ばれる島が見えます。

 

 

左の、大きな三角形の島が、大槌島。

その右に、うっすらと、小さな三角形の島があるのですが、それが、小槌島。

 

この、大槌島、小槌島には、地元に伝わる伝説があり、昔、日比に刀鍛冶が居たということ。

しかし、日比では、良質の鉄が採れず、良い刀を作ることが出来なかったため、

「もう、刀を作るのは、やめた」

と、大きな槌と、小さな槌を、海に向かって投げ捨てたそうです。

そして、手前に落ちた、大きな槌が「大槌島」に、遠くに落ちた、小さな槌が「小槌島」になったとか。

 

こういう話を知っている人は、今では、地元でも、どれほど居ることか。