八浜の市民センターの駐車場の敷地の中に、二つの石柱があります。

 

一つは、このようなもの。

「七十一番」と読めます。

 

反対側から見たところ。

こちらには「七十番」とあります。

下の文字は、読めない。

 

恐らく、「児島八十八か所」の霊場巡りの標識で、ネットで調べてみると、70番は、「蔵泉寺」で永井という場所にある。

71番は、「浄光寺」で、大藪という場所にあるよう。

以外にも、どちらも、八浜ではない。

なぜ、この石柱が、この場所にあるのか。

 

もう一つ、上の石柱の隣に、大きな石柱があります。

 

書かれている文字は、恐らく、上から「右、由が」ではないでしょうか。

その下は、読めない。

 

裏面。

「天保十年」の文字が、読み取れます。

その他の文字は、薄くて、よく分からない。

「天保」というと、江戸幕府の老中、水野忠邦の「天保の改革」で有名ですよね。

 

「右、由が」という読みが正しいのだとすれば、やはり、この石柱は、由加山への道しるべなのでしょう。

江戸時代に流行した「金毘羅、由加、両参り」のために建てられた標識なのだろうと思います。

 

しかし、恐らく、この二つの石柱は、元々、この場所にあったものではなく、他の場所から移されて来たのだろうと思います。

「邪魔だから」といって、廃棄するのではなく、他の場所に移して、保存をしてあるというのは、歴史ファンとしては、有り難いところ。