このたびの東日本大震災の被災者の皆様には、心よりお見舞いを申し上げます。
また、亡くなられた方々にはご冥福をお祈り申し上げます。
皆様方の安全と一日も早い復旧復興を期待してやみません。
私たちに今何ができるか、私一人では小さな力ですが、
一人一人は小さな支援でも、みんなが重なれば大きな支援になると思います。
みなさん、できることをできる範囲でやりましょう!
あれから1週間を経過して、当日のことを書いてみたいと思います。
2011年3月11日 午後2時46分
快晴の金曜日。
週末の金曜日とあって、今日も慌ただしい一日を送っているところでした。
最初の揺れは、激しいものではありませんでした。
『ああ、地震が来たようだね。』と余裕でした。
しかし、いつもならすぐに収まる揺れが今回はなかなか収まりません。
そして、どんどん揺れが大きくなってきました。
グラグラ、グラグラと揺れはひどくなり、社員も騒ぎ始めました。
私の隣の机にあるパソコンが倒れ、
本棚の本が音を立てて崩れる音が聞こえ、
本棚の上にあった物が落ちてきました。
「ガシャーーン!」とともに、冷蔵庫の上あった電子レンジが落ちてきました。
・・・・
・・・・
揺れは、5分ほど続き、やっとおさまりました。
しかし、それから数分たつと、また余震がはじまりました。
ここで社員に外にでるように促しました。
エレベータはストップしており、
非常用の外階段をつかって、ビルの外へでました。
ビルの前には、コンクリートの破片が散らばっていました。
弊社のビルの前に、ホテルがありますが、その煙突の根元のコンクリートがはがれて落ちたのです。
その後の揺れでも、煙突の根元が揺れて、今にも崩れてしまいそうでした。
階下では、他の階の人たちも降りてきて、1Fは人でいっぱいでした。
「このビルにこんなに人がいると、初めて知りました。」
約1時間位、外にいました。
おさまってきたようなので、社内に戻ってみると、
崩れた本やパソコンなどがありましたが、大きな被害はありませんでした。
社員に怪我もなく、全員が無事だったので、一安心です。
その後、社内では、仕事を続けながらも、インターネットやUSTREAMで情報を集めましたが、
大変な事が起こっていることが、だんだんわかってきました。
特に、USTREAMで見た津波の映像は衝撃的でした。
真っ黒な津波が田畑や家を飲み込んで行く様は、まさに悪魔の舌に見えました。
堤防の決壊!
ガスタンクの炎上!
社員は、それぞれ家族の安否を確認し始めました。
が、電話はつながりません。
メールは、繋がりました。
これ以降、皆メールにて安否確認を行いました。
これは本当に助かりました!
このとき、電車がすべて止まっているとの情報がはいり、電車が動き出すまでは社内で待機することになりました。
しかし、この後電車が動くのが明日以降になるとは、思いもよりませんでした。
夜を迎え、時が過ぎると、社内で待機する者と、歩いて帰る者に分かれてきました。
私は、自宅の母と連絡が取れないため心配になり、歩いて帰ることを選択しました。
池袋駅にいくと、駅前は人で溢れています。
ここから自宅まで歩きは決めましたが、同じ方向に歩く人々で一杯です。
難民の行列をTVで見たことがありますが、
まさにこんな感じなのでしょう!
男性、女性、お年寄り、家族連れ、・・・
女性の中には、真新しい運動靴をはいている人を何人か見受けられました。
この行列からは自宅の近くで離れましたが、
列はずっと先まで(埼玉方面へ)続いていました。
自宅に帰ると母は無事で、TVを食い入るように見ていました。
母は耳が遠いので、TVの音で電話に気がつかなかったようです。
母の無事を確認し、一安心したところで、どっと疲れがでてきました。
しかし、TVに映る被災地の惨状は想像を超える規模であり、これからの日本がどうなるのか、
大自然の恐ろしさを実感した一日でした。