病気になったとき・・・なぜその兆候に気づいてあげられなかったのか
介護中・・・もっとやれることがあるのではないか
亡くなった後・・・もっとやれることがあったのではないか、もっと早くからいろいろ知って、やってあげてればよかった。
いろんな後悔や、自分を責める心がどんどん湧き出てきます。
ロイの心臓の様子、今なら気づけたかもしれない・・・
散歩が好きでいつも行きたがるのに、行きたがらなかった。
知らなくて連れ出して、その夜、発作・・・。
心臓に関しては、よくある兆候らしいです。
そういうのも、知らなかった。気づけなかった。
どうしようもなく腕のない動物病院を選んでしまったこと。
何も知ろうとしなかったこと。
そして、死んでから一緒にいてもしかたないこと・・・。
仕事をしてる、会社にいかなくちゃいけない・・・
そんな毎日で、ロイが亡くなって休みをりました。
お葬式までの間、二日間。ずっと一緒にいました。
でも、生きている時にしなくちゃ意味がないのに。
そういうことを引きずっていて、シフォンには同じことをしたくない。
できるだけ元気に過ごしてもらって、私も一緒にいる時間を増やして・・・。
もちろん一緒にいた時間の長さだけで、
その二人の間がはかれる訳ではないのだけど。
ロイに対しての罪滅ぼし。
私がいろいろ拘って、頑張ろう頑張ろうとしているのは、
そんな部分がやっぱりあるのかもしれません。
シフォンはシフォン。
今、この時、シフォンとの事。
それをしっかり大事にしてほしいと、ロイはきっと思っているんでしょうね。
だから、服や骨をさっぱりさせてね、と言っているんだと思います。
私は今を生きていないのかな・・・
でも、ロイのことをだけで、シフォンにいろいろしているんではないんです。
シフォンに楽しく過ごしてほしいことも、
幸せだと感じて人生を過ごしてほしいことも、
少しでも出来ることをしてあげたいと・・・。
それは、私もシフォンと一緒にいたいから、少しでも一緒に。
シフォンといることで、十分幸せだから。
そのありがとうを込めて、何かしたいという気持ちもあります。
その中で、食べるのが楽しそうでないシフォンに、
手作りでご飯を作ったら美味しそうに食べてくれて。
そういう風に少しでも楽しそうにしてもらえたらいいな。
そのために、シフォンとさらに楽しく、笑って過ごすために、
やっぱり自分を変えていきたいです。
シフォンは私の鏡。
私がシフォンに思っていることは、シフォンが私に思っていること。
カードで聞いても、アニマルコミュニケーションで話してもらっても、
私の笑顔、私がやりたいことをやっている所、それをシフォンは見たい。
私も、シフォンの生き生きした楽しそうな顔が見たい。
2人で作る、2人の関係。
私達にいい方法で、進んでいけたらいいなって思います。
絶対的に正しいものなんてなく、
きっと人の数だけ、動物の数だけ、いろんな正解があるんだろうなって思いました。
病気もきっと、
病名は同じでも、なった経緯と原因はそれぞれ全部違うのではないかな・・・。
人はパートナーに対して、いろいろな決断をしなくてはいけないです。
命にかかわることも多々あって、その重さに愕然とする。。。
小さい体で本当にたくさんのことを教えてくれています。
シフォンと一緒にいて、思いもしなかったことにたくさん出会い、
数年前には想像もしなかった今があります。
私の人生はどこに行くのかと思うくらい。全然想像外の人生です。
それに8年前にロイと出会ってから、そこからの流れがものすごくて。
こんなことになるとは・・・。
それもまた、ロイからの課題でもあり、プレゼントでもあるのかもしれないです。
あれ??何を書こうと思ってたんだっけ・・・
いつも話しの着地点がよくわからない所に。。。う~ん。。。