私は最近とても疲れていて、ブログの伝道も休みがちになってしまいました。

疲れている時は休んで置かないと何事も出来ないと思っていました。

しかし今日の礼拝の御言葉は「疲れている時こそ伝道、心情が落ちたら伝道」とおっしゃっていました。

どこかで、同じような事を聞いた覚えがあるなーすぐ思い出した事があります。

実は私は中学時代陸上部で800メートルの選手でした。

中距離の練習は本当に苦しく当時の私は先生に「お腹が痛いです、走ってれば治る。 頭がいたいです、走ってれば治る。 足が痛いです、走ってれば治る。」 

そんなやり取りをいくらしたか分りません。

しかし本当に走ってれば治るんです。

やりたくなくて、痛いと言っている訳では消して無いのです。

やり始める前は本当に痛いんです。

不思議です。

でも、今日の御言葉を聞いていて原理の中での良心と堕落人間の中での良心は違う事を教えて頂きました。

天の律法を守るのか、地の律法を守るのかそれが大切。天の律法を守れる人は地の律法も守れる。

良心は目に見えないけれど神様から頂いた大切なもの。

良心を大切にしよく管理する事の出来る人は成長出来る人、「謙遜な人になりましょう」と語って頂きました。

良心の作用が弱くなった時、祈祷し、御言葉を読み、アベルを訪ね、良心に刺激を与えなくては成らない

とも語って下さいました。

新しい1週間がんばって行きましょう。

最近思うこと。子供は「2世」は親「1世」の手のひらに乗るような小さなスケールでは無いと言う事。

本当にそう思います。

主人なんか気を付けないと抜かされそうです。

心情面の素直さ純粋さはすばらしい。

私も負けそうです。

いや、負けているかな。

最近、はがきを配っているのは

実は6年生の娘です。

5分祈祷をして友達の家のポストに入れて来ています。

その他にも、私が配りきれないはがきを配ってきます。

個性的な娘で5年の時学校を変えたいと言った時には驚きましたが

担任と上手く行って無い事が分りました。

登校拒否にもなりかけましたが、結局自分で心を整理してがんばっています。

夏に行った「istf」が娘に与えた影響はとても強かったようです。

未だに話しています。

2年の息子はそれは元気で、反抗期で、とてもかわいいです。

こちらも、親の言う事など聞きません。

しかし、真の御父母様のみ言葉には反応します。

どなたかが、2世は2世で無いと訓練出来ないと言われたのを覚えているのですが

本当にその通りだと思います。

いつも息子とサッカーの帰りに御父母様へお供えする花を買いに行くのですが

息子は値段を気にしません。

きれいだと思った花をチョイスします。

決まって言う事は「最高の物をお供えしなくては」そこで私は予算もあるしと言うと

夕食を1ピンけずっても、これにする。といいます。凄いなと思います。

私の手のひらには納まらない、嬉しい悲鳴かもしれません。

親が不足過ぎかな!

2世はやはり凄い、恐れを全く知らない。

守ってあげなくてはいけない尊い存在だ。


私はあまりテレビを見る暇が無いのですが、たまたまコマーシャルで虐待で苦しんでる親に対して

悩まないで電話して下さい。と言う内容のものを見てしまった。

心がとても痛みました。

霊界や背景も大きく関わりを持っていると言う事。

実は私も娘が3歳になった時、今まで可愛くて仕方が無かった娘を

心情蹂躪するようになってしまってもの凄く苦しみました。

だってまさか自分がそんな風になるなんて夢にも思っていなかったから。

ひとしきり「怒りの鬼」のようになり、その後娘にゴメンナサイと謝る。

自分でもどうする事も出来ない。

霊的なものだと悟ってからは「祈願書」を書きまくり娘の心の傷を癒して許して下さい、と何十枚も書きました。

ありがたい事に娘は霊的で、「あれはお母さんの本当の姿ではないから大丈夫だよ、顔も言葉使いもぜんぜんちがうから、本当のお母さんだと思っていないから。」なんて言って私を励ましてくれた事を今でもハッキリと覚えています。祈願書と清平お蔭様で嘘のように治りました。

いったいあれは何だったのだろうかと思うほど、分りあえる母娘になりました。

この世で「虐待」の他にもいろんな「おかしな事」が起こっています。

例えば誰でもいいから殺して見たいとか

霊的問題は「メシヤ」を通して神様に主管してもらい整理してもらわなくてはどうにもならない事があります。

例えば話したことも無いのに見ただけであの人とは合わないと直感する事ありませんか。

もし、それが身近な存在で無視出来ない場合「霊界を整理して自分を清め真の愛を学び信仰生活をしない限り上手く行く方法は無いのでは無いでしょうか、その様に思います。」

かつて私も苦しみました、言いたくないのに、勝手に酷い言葉が出てきて止めたくても全部言い終わるまで止める事が出来なかった、本当に心にも無い言葉がすらすらと出てくる。

とても苦しい時代を2人で勝利しました。

娘が偉かったと思います。

その分今は何かあった時はその時の事を思い出して娘の心との対話を大切にしています。

私が「虐待」してしまったのは幼稚園のころです。

今は6年生になって優しい面倒見のいい子に育ち、私も神様からの預かり者の2世を育てさせて頂ながら共に成長させて頂いています。

「虐待」で苦しんでいる人、自分ではどうする事も出来ない事があります。

是非、世界基督教統一神霊協会を訪ねて下さい。

早く、お互い傷が浅いうちに解決の道が開かれます。

統一教会を宗教をどうか恐れないでください。

お願いします。

一緒に超えていきましょう。

私はすぐ怒ってしまう方だ。

だから怒らないようにするのがたいへんだ。

神様にも「喜怒哀楽」が御ありになった。

だから「怒り」も全てがいけない訳では無いと思う。

「怒り」にも目的がちゃんとあるように思えてきた。

その怒りは自分の価値を中心として出た怒りなのか、

神様を中心として出た怒りなのか。

神様を中心とした怒りには「天法」に違反する行為に限ってあてはまる。

だから「怒り」そのものがいけない訳では無いと思う。

しかし、自己中心に自分の価値観で怒りと繋がれば、そこには神様はいない。

自分を守るために必死になって「我」をはる。

これは本来の「怒り」ではない、神様を知らない怒りになってしまう。

本来怒りは「愛」から生まれている。

だから「愛」が先行するから怒りおも主管してあげる事が出来る。

怒りは堕落から生まれた訳ではない。

堕落人間の怒りは、留まる所を知らないかのように暴走する、非常に恐ろしい。

愛されて来なかった恨み、憎しみの叫びのように聞こえる。

怒りっぽい人は神様の愛を学び、神様、真の御父母様からたくさん愛されている事を知る必要がある。

そうしなければ「怒り」に主管されて苦しいのは自分だけでは無く

神様もまた共にいれない苦しみを負っている事に気づかないだろう。

その事を私達に教えてくれた方こそが「メシヤ」であり文鮮明先生です。

私は毎日少しずつ成長しています。

文鮮明先生の語る御言葉を頼りに神様と出会い

神様から愛されている事を学びました。

今は神様から愛されている事、真の御父母様から愛されている事を心で感じます。

失敗する事もまだありますが、「怒り」を主管して使えるようになって来ました。

「怒り」にも正しい目的があると思います。

たいがいの人は愛されている事を忘れて自己中心に走ってしまう。

私も気をつけねばと思います。

私は毎日夢を見ます。夢を見ないで寝た事はありません。幼稚園の頃の事は覚えていませんけど。

今日は良い夢ではありませんでした。

なんで、こんな夢見たんだろう、何て考え出したら限が無く、考えれば考えるほど泥沼にはまって行きそうだったので、考えるのを止めました。

こうして、悪霊は私の一日を奪って行くんだなーなんて思いました。

私達は仮にも氏族のメシヤを名乗っているのだから、トウゲンの道を行くのは当たり前。

目には見えないけれどトウゲンを背負っているし、また未来を開拓して行かなくてはならない立場が与えられている。悪霊が来たら相対しない事だ。悪霊も目に見えないのでそれと気づくのに時間がかかったりする。

しかし、私達には完全に勝利された真の御父母様の天運も授かっている。

これもまた目に見えないので、時にありがたい恩恵に気づくのに時間がかかってしまったりする。

私は今日11月12日「全祝福家庭ラスベガス訓読会同参」の御言葉を、日本時間22時から始めた時の事を思いだしました。本当に急で主人と必死にがんばった事を思い出しました。

これも目には見えないけれどどれ程大きな恩恵かと心打たれました。

いつも私達祝福家庭の勝利を願って下さり、真の御父母様が祈って下さっているか。これも目に見えるものでは無いので忘れてしまったりする。本当に堕落人間は目に見えない物に疎い。

皆さんはそんな事無いかも知れませんが、私はまだその辺りです。

悪い事は大きく見えてしまいがちで、良いことは無いように感じられてしまいがちですが、実は逆だったりします。

私は目に見えないけど、たくさん降り注がれる神様と真の御父母様の愛をいつも忘れないで感じていられる者になりたいです。