進む多層化 | だいたい踊ってます

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日常の気づきのまとめとか。

まいこです!

 

先月末から夢中になって作っているものがありまして、三次元的にモノを生み出す作業に没頭していました。

 

物理次元のもどかしさたまらん〜〜〜〜〜🐱❤️❤️❤️

 

 

 

 

さて、今回は多層化についてです。

 

 

混乱極まり…じゃないけど、世の中的には「問題」がいっぱい起こっているように見える昨今なのかな〜と思っています。

 

他人事みたいにしてますけど、我が家の家族的にも「問題」っぽいものは大なり小なり起きてきてます、深刻になれないだけで笑。

 

 

んで、物事を捉えるときにどこの視点で見ているかを意識的に捉えるといいかなー、と思ったので書いています。

 

 

 

というのも、視点による違いで争うシーンをやたら目にするので気になっちゃって。

 

 

 

あらゆる物事はネガもポジも内包していると思ってて、それを「問題」とするのも「きっかけ」とするのも自分の認識とか受け取り方ひとつだなーというのを学んできました。

 

 

そして、人によって見えてる世界観が違うとか立ち位置が違うとか、「正解」とするものが違うというのにもずいぶん向き合ってきました。(記事だとこの辺とか)

 

 

それから、学びとか成長の段階というのも人によってそれぞれありますね。

 

誰でもその人にとって一番ちょうどいいスピードで、やりたいとこまで学ぶんだと思ってます。

 

 

 

そうした時に生まれてくるのが、多層化だと思ってます。

 

多層化というのは、一つの物事を見た時に視点が多数に渡ること、と私はしています(というか今決めましたw)

 

 

 

 

例えばここにりんごが1つあるとします。

 

このリンゴを見た時に「リンゴがある」という視点が一般的なものだとしまして。

 

 

りんご農家さんの場合だと「シナノゴールドだなぁ」となるかもです。

 

絵を描く人だと「りんごって静物画の定番だよな」かもしれないし、聖書に通じてる人は「りんごと言えば禁断の…」かもしれないです。

 

お弁当を作る人だと「うさちゃんりんごって塩水につけないと変色するんだよな」だし、海外の方は「日本の果物高い」なのかも。

 

 

そんな感じで、立ち位置や経験によって同じ物を見ていても、得る情報とか呼び起こされる感情が違います。

 

 

そして、同じコミュニティだと割と話が通じやすいんです。

 

りんご農家さん同士が「今年はうちはよくできた」「もうそろそろフジも食べごろだよ」って話すことはあるでしょうし、絵を描く人同士で「どんなメディウム使うとりんごのツヤ出るかな?」「私は下塗りにこれ使うよ」とか話すこともありそうです。

 

 

けど、互いを理解しないままに言葉の端っこを捕まえ合って、自分の見えてる世界観で裁き始めると喧嘩になっちゃうんですよね〜

 

 

「りんごを作ったこともないくせに完璧なプロポーションとは何事だ!」「こっちは概念の話をしてるのにそもそもそっちは物質に傾倒しすぎているのでは?!」みたいなねw

 

 

 

なんとなく、そういうので喧嘩してるな〜というのをよく見るようになったな、と思います。

 

 

世界が分離?

 

 

うーん、よくわかんないです。

 

そうかもしれないけど、そこにはあまり興味がありません。

 

 

それよりも「あーそうかー、この人には多分違うように見えてて、そこの何かに反応してるんだなー」っていう冷静さでもって、するりするりと交わしていくのがオツですねって気持ちです。

 

 

それに加えて、物事が多層的に見えてるってゴージャスでかっこいいな✨とも思っています笑

 

 

自分が変わると見え方が変わるっていうのが単純にすごく面白いし、そんな仕組みになっていたっていうのも大変にエモでございます笑

 

 

 

まぁそんな感じで、こっちの最低がそこのパーツと響き合ってポジとネガがひっくり返った、みたいなドラマもちゃっかり楽しみつつ、本当に面白いタイミングだな〜と思っている感じです。

 

 

眠くなってきた!!!!!!以上!解散🐱🐱🐱