人生は誰でも自分で選ぶことができます。
そういうと、
「では、なぜ、私の人生はこうも惨めなのか!?」
そんな反発が返ってきますが。
どのような演目で?という点において、
個人差はとても分かりやすい形で表れています。
悲劇をとことん追求することもできますし、
喜劇を心の底から楽しむこともできますし、
喜劇を悲劇に変える、悲劇を喜劇に変えることも可能です。
それを選んでるという話です。
もちろん、
人生は喜劇と悲劇だけなんて単純なものではありません。
もっと「こう生きたい」を柱にすえていいのが人生です。
(簡単な話にするには悲劇と喜劇は分かりやすいので)
悲劇的に生きている方は、
悲劇のタネを年がら年中、探し回っています。
身の回りに悲劇が無ければ、
ニュースの中にそれを見つけようと必死です。
住んでいる地域になければ全国的なニュースを探し、
全国になければ世界のニュースに目を向け、
それでも見つからないなら過去に起きた悲劇を探す。
こう文章にしてみるとかなり滑稽な話に見えますが、
悲劇的に生きると決めた方たちにとってはこれがライフワークです。
人生は悲劇であると決めたのは誰ですか?
悲劇であろうと喜劇であろうと人はいつか必ず死にます。
ですが、それを理由に新しい仲間、
愛する人との出会いを拒絶するのはもったいない。
楽しい時間、お金や健康についても同様ですが、
悲劇的に生きてしまうとそれらがない状態が心地よくなってしまいます。
悲劇の中にあることが生きている証になっている。
言い方はおかしいかも知れませんが、
悲劇ばかりだと充実しているような?
それを選ぶのは自由です。
だから、どれだけ悲劇的に生きてもらっても構いませんが、
そうなっている理由を自分以外に求めるのは間違っていると伝えたい。
楽しい人生を歩みたいと決めたのなら、
今までの思考を「あほくさい、や~めた!」とし、
豊かなもの、楽しいもの、欲しいもののことだけを考えて生きるようにしてください。
過去に集めたもの、何らかの癖もそうですが・・・
そういったものがパっと目の前から消えたり、なくなったりするわけではありません。
悲劇仲間、愚痴仲間はいつもの場所であなたを待っているし、
手があいた隙に悲劇的なニュースを探してしまうこともあるでしょう。
少しずつそういったものに浸る時間を減らしていけばオッケーです。
悲劇が生き甲斐だった方には物足りなさを感じることもあるでしょうが、
もう、あなたの人生にそんなものは不要として過ごしてみてください。
どうありたいか?だけを考えて生きる。
それを持っている人、そうなっている人を讃えるようにしましょう。
おめでとう!すごいね!やったね!なんて拍手をしながら、
軽い気持ちで「次は私の番!次は私の番!」と感じてみてください。
違う場所にいるのでなく、
”同じところにいる”感覚を忘れないように。
(その方の幸福を自分ごとにする)
うらやましい!とかずるい!みたいなのは、
自分自身を豊かさとは違う場所におくことですからね。
さぁ、今からあなたはどのような人生を選びますか?
今日も笑顔で♪(*´ω`*)
慶福天