「幸せと不幸せ〜相反するものの近さに気づく」
豊かな状態とそうでない状態、
善と悪、得意と不得意、好きと嫌いなど、
相反するものはそれぞれが両端ではなく、
隣同士の近さにある感覚を最近よく感じます。
それは、
指をパチンと鳴らす間に入れ替わるほどの近さです。
また、基本的に私たちは意識しない限り、
そのどちらにも存在せず、ただ真ん中にありますが、
起きた現象に対し何らかの感情を持った時、
どちらかを自分の意思で選び、そこに存在することになります。
真ん中は”無”であり無限でもありますが、
(ジャッジのない世界)
私たちは物質世界に生きているため、
そこに居続けるのはとても困難です。
そのため、
良い悪いや快、不快に身を置き安定させます。
ですが、
そこの距離感は、
物質世界のそれを当てはめる必要はありません。
両極端なものであっても、
私たちの感情がすべてだと理解できたら、
その位置はとても近くなるからです。
起きた現象に反応するだけなのはもったいない。
起きた現象は変えられませんが、
自身の反応は誰でも本当は変えられますからね。
不幸せだと感じている方が、
幸せな状態を眺めると…
とてつもなく遠い場所にあるように見えるかも知れません。
でも、本当は指をパチンと鳴らす間にチェンジできる。
それこそ、
人間が持つ無限の可能性や創造のチカラです。
(宇宙から与えられた権利)
変な話。
1億円の資産を持つ方と1億円の借金がある方に差はありません。
前者が幸せで後者が不幸せなどと誰が判断できるでしょう?
(自分以外にはありません)
グラデーション(濃淡)があるもの、
抽象的だったり、数値で測れないようなものは、
(善悪や感情、何かへの貢献度など)
なんとなく理解することは難しくないはずです。
ただ、
物質的な「有る・無い」も同じ認識で居てください。
有る・無い、持っている・持っていないも、
(この瞬間まではどちらかに居ますが)
指をパチンと鳴らす間に変わっていくものだからです。
恐ろしく遠い距離にあって霞んで見えないのではなく、
恐ろしく近い距離にあり過ぎて気づいていないだけだと。
すべて、あなた次第の距離感で創造されます。
わざわざハードルを上げるような…
または、障壁の向こう側に幸せがあるような設定はヤメましょう。
なぜ、わざわざ難しくする必要があるのですか?
対象に価値を求め過ぎず、
あなたが価値ある存在であることに気づいてください。
まずは深呼吸。
そして、今日も笑顔で♪(*´∀`)
慶福天