「この世界にスピリチュアル要素がゼロだったら?」
広い意味でスピリチュアル的な要素がゼロだったら?
と、まぁ、恐ろしい世界を想像してみたわけですが。
結論から言えば、
人間の心、感情がスピリチュアルなので、
スピリチュアルな要素無しには、
この疑問さえ生まれないことになるでしょうから、
要素がゼロというのは起こり得ない…と。
言葉を言い換えると、
スピリチュアル無しに、無から有は生み出せない。
とも言えます。
また、勘違いをしていることもある…
これは、私自身にも当てはまるものですが。
「物質的と精神的なものの存在している比率が違う」
という感覚。
(比率は適当な数字ですが)
この世界を眺めた時に…
物質的、触れるものがほとんどで(70〜99%)
残り(30〜1%)が精神的、触れられないものとするのが、
間違い、勘違いではないか?と。
むしろ、この世界を構成しているほとんどすべてが精神的なものであり、
物質的なものなんて微々たるものなのでは?という思考。
もっと深く考えるなら、
物質的なものですら、
精神的なものを帯びているわけですから…
ほとんどすべてではなく、すべてじゃん!みたいな。
スピリチュアルや精神的なものが、
この世界のすき間にひっそりとあるわけではなく、
すべてはそこにあり、そこから始まっているとする。
しかも、その始まりは、
それぞれの、各個人の心でもある。
とするのが、今は、なぜだかしっくり来ます。
なにがしの限界がある物質的なものと、
一切の制限のない精神的なもののチカラの差は歴然です。
たとえ、数億円レベルの借金であれ、
それを些細なことにできるチカラとも言えるでしょう。
もっと不思議な世界を。
今日も笑顔で♪(*´∀`)
久しぶりに自分でまとめられない記事を書きました。
文章がヘンテコですがご理解くださいませ。
慶福天