「”今を楽しむ”を誤解していませんか?」
すべては今から始まり、また違う今に行き着く。
時間というのは、今しか無いのだから、
「今を楽しもう」
「今に戻ろう」
「今を犠牲にしないようにしよう」
というのは、どれも正しい考え方です。
ただ、この”楽しむ”という考え方は、
少しばかり、取り扱い注意だったりします。
たとえば…
数ヶ月後に何らかの大会やコンテストがあるとして。
(学生の頃の部活動を思い出されてもよいでしょう)
そこに向けた練習や課題に今、取り組む…、
これ、”楽しむ”ことになりますか?という話。
練習はキツくて苦しいし、
課題だって多くの時間をかける必要があります。
この時間は、まるで、
大会やコンテストのために、
”今を犠牲にしている”ようにも感じてしまう。
しかし、あとで思い返すと、
大会やコンテストという目標があって、
それに向かうすべての時間に”充実感”はあった。
ここに気づけるか?がとても大事。
つまり、
楽しむ=快楽や怠惰では無く、
無我夢中であったり、
充実感を伴うものだったり、
ただ必死こいてやること…であると気づく。
逆説的に言うならば、
こちとら、
色んなことを犠牲にしてやっているんだ!
みたいなものは、ヤメちまえってことなんです。
楽しい夢を追っている時間が、
どれだけ幸せな時間であるか?は、
歳を重ねれば重ねるほど分かってきます。
また、波動の面から見ても、
今との向き合い方次第で、
いかようにも未来が変化するものです。
”楽しむ”を怠惰や快楽とするのではなく、
【波動の上がるもの】とした時、
「今を楽しむ」ことの本当のチカラに気づける。
(先に挙げた無我夢中や充実感もそうです)
苦しい側面、かかった時間や労力を、
どう捉えるか?によって、
天と地ほどの波動の開きが生まれますからね。
より感覚的になって恐縮ですが…
少し先にある目標に対して、
「◯◯だから、やるのは当然」という、
「◯◯」が先に決まっていると、
勝手にどんどんやり始め、結果もついてきたりする。
大会を勝ち進むのだから、
練習するのは当然に感じる とか、
このコンテストで入選するのだから、
課題に取り組み続けるだけ… みたいな感覚。
こうなると、スンッとやります。
やって当然みたいになると、
気合いも根性も要らないので本当に楽ですよ。
あなたは「今を楽しむ」ができていますか?
まずは、
他人と比べて、人から見て、ではなく、
あなたが夢中になれるもの、
あなたが充実感を得るもの、
あなたの波動が上がるものを探すところから。
立派なことである必要はありませんからね。
大丈夫です。
それに夢中になるのが、
世界にあなた一人なんて無いので。
きっと仲間は居るし、応援もされます。
今日も笑顔で♪(*´ω`*)
アニメ「忘却バッテリー」の中で、
(高校野球の話です、面白いですよ)
嫉妬、うらやましい…という感情を、
なぜ、神様は人間につけたんだろう?
みたいな場面がありました。
そこへの私なりのアンサー。
嫉妬するだけ、
うらやましがるだけでは、
あまり良い反応とは言えません。
ですが、その感情を…
・それを正しく欲する とか、
・他人を見て自分を知る に活用できたのなら、
宇宙の進化、改善に繋がる可能性しかありません。
悪感情ですら、
無意味につけられたものでない。
本当に、知れば知るほど、
この世界はよく出来ているなぁ(*´ω`*)
と感じますよ。
慶福天