「物の価値はあやふやだし、それでいいという話」

 

今回は、脳みそを休める回。(の予定)

 

ぼんやりと読んでいただき、

何かを汲み取ってもらえたら幸いです。

 

 

さて、現代は多様化が進み、

それは今後さらに加速していくでしょう。

 

 

ひと昔前では、

テレビ、ラジオ、新聞、雑誌など、

固定されたメディアを家族で共有していたため、

共通の話題、同じような価値観の元に居ました。

 

 

ですが、

今は情報の出どころが各個人で違うことにより、

ピンポイントの話題、流行、価値観が存在し得ます。

 

 

また、多様化が進んだ結果、

同じ媒体を見ていたとしても、

各個人好みにカスタマイズできることから、

それぞれの世界が成立しているはずです。

 

 

ユーチューブひとつ取っても、

私と息子では共通点はほぼ無いでしょう。

(トップ画面を開いた時点で違いは明白のはず)

 

 

このような状況の違いは、

価値観の違いとなり、

思考や大事にするものも違ってきます。

 

 

価値観はお金の使い方に現れる。

 

 

たとえば…

アニメやゲームのトレーディングカード。

 

 

興味の無い人からしたら、

大人が買い占めたり、

店頭に並んですぐに売り切れる状況が理解できない。

 

 

スマホゲームの課金も似たような印象かも知れない。

 

 

一方で、新聞をとるというのは、

若い方には感覚として既に無いでしょう。

 

 

物の価値は昔からあやふやなものでしたが、

今後ますます、あやふやなものになっていきます。

 

 

大きな旗の元、

多くの人々の関心を集める…

 

国民的ほにゃららは、もう現れないでしょう。

 

 

懐古主義で見ると、少し淋しくもありますが…

 

物の価値の多様化は、当然、淋しいだけではありません。

 

 

ここからは、

価値観の取捨選択や、

価値観を提供する側の視点を広げてみます。

 

 

積み上げてきたものに価値はある。

 

 

・勝敗のある競技なら勝ち続けること

・経験が大事なことなら場数を踏んでいること

・知名度や人気がポイントならそれらを持っていること

 

 

他にも、”続けてきた”にも価値はあるでしょう。

 

 

また、共感というものにも価値が出ている。

 

 

ただ、共感、共有が煮詰まると、

自身で思考しなくなってしまう危うさはありますが。

 

 

何に価値を見い出すかは、本当に人それぞれです。

 

 

過去、ここまで自由な時代は無かったかも知れない。

 

…と、思う反面、息苦しさを感じるのはなぜか?

 

 

なんてことを考えたり。笑

 

 

今回は結論を特に設けていません。

 

 

なので、このまま謎に終わります。

 

 

最後にひとつだけ。

 

何かに影響されることを恐れないでください。

 

好き、嫌いを判断できるだけで充分で、

それがあれば溺れることはありませんからね。

 

 

良い、悪いは無いので。

 

 

今日も笑顔で♪(*´ω`*)

 

 

昨日、浜松城公園に行きましたが、

桜の花はさすがに相当、散っていました。

 

おかげで、

ずっと桜吹雪(粉雪くらいかな?)を浴びられて、

気持ち良かったです(*´ω`*)

 

 

慶福天。