「もっと、この世界を信じよう」

 

夜中に書く文章は、

時にイキ過ぎてしまうことを、

私は経験を通して知っています。

 

若い方には馴染がないかも知れませんが、

その代表的な例はラブレター。笑

 

あまりに情熱的になり過ぎて、

朝方に読み返すと…とてもじゃないが、

世の中に出して良い代物ではないことに気づくわけです。笑

 

 

ただ、たまにはそんな勢いで、

イキ過ぎることがあっても面白いものですよ。

 

 

というわけで、

イレギュラーな記事となりますが、

「もっと、この世界を信じよう」という話。

 

 

ここでいう信じる対象は、

人の優しさ、大きな愛のことです。

 

 

私たちが自分の中にあるものを、

この世界に発信する時に必要なのは、

自分を信じることだけじゃパワー不足かも知れない。

 

 

もしかしたら、

この世界は私が私を表現しても分からないのでは?

 

 

という考えは、少し、この世界を舐めすぎです。

 

 

世界を信じることは、

人の優しさや大きな愛が、

この世界にはある!と感じることですが。

 

 

同時に、自分を信じていないと、

この世界を信じることは難しいという側面もある。

 

 

逆説的に言えば、

世界に拒絶されるかも知れないと考えている思考は、

まず、自身が拒絶しているようなものです。

 

 

「拒絶されるかも知れない…」

 

 

と考えながら動いている人間は、

どこか卑屈だったり、ヒステリックだったりします。

 

 

「私は世界を信じている」

 

 

そんな思考で行動している人間は、

堂々としていて、迫力があるものです。

 

 

これは、当たり前の話。

 

 

信じている人間はそれだけで強いので、ね。

 

 

この世界には素晴らしい人間があふれている。

 

あなたや私が表現したものを受け入れてくれる余裕はある。

 

 

それを思考の根底におき、行動されてみてください。

 

 

私の記事もそうですが、

伝わる人に伝わればそれで良い。

 

 

それだけです。

 

 

最後に大切なことを伝えます。

 

 

それは…

 

私たちが今、見えているものは、

すべて、それを創った人間が、

世界を信じて、世の中に発信したものだけです。

 

 

世界を信じないで、

世の中に見せなかったものを、

私たちは見ることが出来ませんからね。

 

 

ドラゴンボールだってそうですよ。

 

 

鳥山明先生が世界を信じたから存在している。

 

 

もっと、世界を信じましょう♪(*´ω`*)

 

 

思ったほどイキ過ぎませんでしたね。笑

 

 

半分寝ているので、

おかしなところがあったら申し訳ないです。

 

 

でも、なんとなく…

”今”書き切りたかったのでご理解くださいませ。

 

 

おやすみなさい。

 

 

 

慶福。