魂は溶鉱炉の中の純粋な貴金属のようなもの | アイイス講師&ミディアム開堂慈寛のブログ

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                   そら

10月20日に行なわれたサンデーサービスの中で、開堂ミディアムが行なったサーモンお伝えします。雰囲気をお伝えするために、そのとき話された言葉のままの部分があります。また、読みやすくし、分りやすくするために、後から多少の編集が行なわれました。

 

 

                      銀杏

 

 

 「ヒンズー教の中には、火をたいへん神聖なものだと考える考え方があります。確かに私達は、よく考えてみれば火の塊のようなものです。赤血球の中のヘモグロビンが運ぶ酸素と血液中の糖分が結合してエネルギーを発して、この肉体というものを維持し続けています。

 

 確かに糖分は、よく燃えます。私も高校生の時、科学部にいたので、ちょっとふざけて砂糖と下敷きだったかな、それを細かく切って鉛筆のサックに詰めて火をつけると、ロケットのように飛んで行ったという実験をしたことがありますけれども、私達は生きている炎であり、炎というのは燃えているということであり、燃えかすというものが生まれます。よく燃えると灰になります。

 

 私達は生まれてから死ぬまで、ずーっと燃え続けます。そして、灰をたくさん残します。灰というものは、また地中に戻って行くものですし、多少の栄養分にはなりますが、基本的に燃えかすです。

 

      

 

 私達は死ぬまでにたくさんの燃えかすをこの地上に残して光の世界に戻りますが、その間にたくさんのことを学び吸収します。そして、最後に光の世界に戻る時は、燃えかすを全部地上に残し、燃えた時に蓄えた経験、成長の証、それを幽体の中に蓄え、輝きながら、地球、または物質界を卒業し、光の世界に戻って行きます。

 

 そして、光の世界で輝き続ける訳ですけれども、もちろん、地上にいる時間が短い人やたいして燃えなかった人もいます。そういった人はたくさんの燃えかすを残すこともなく、小さな光となり霊界に戻って行く訳ですが、輝きかたが違います。

 

 

 

 溶鉱炉を見たことがある人は、わかると思いますが、不純物が全部なくなった純粋な貴金属というものは、本当に美しいです。

 

あなたの魂も、あの溶鉱炉の中の純粋な貴金属だと思ってください。たくさんのエネルギーを燃やし経験をし、また燃える時たくさんの不純物を灰として地上に残して行ってください。純粋な大きな光の貴金属となり、霊界に戻るように一生懸命生きて、燃え尽きることを目指してください。」

 

 

夕日

 

次の開堂ミディアムによる霊界通信のデモンストレーションは、10月27日のモーニングワーシップ&コミュニオンの中で行われます。

 

また、Zoomカウンセリングとメールリーディング、遠隔ヒーリングも受け付けております。


詳細は開堂慈寛のサイトまで!