久々に即興一人芝居のパフォーマンスを演った昨夜の『開口一番

約5ヶ月ぶりのソロパフォーマンスでしたが、
自分の中でブレークスルーした瞬間でした。

ガチな即興シャンソンで、
「師走」をお題に、愛について語りました。

もちろんSwingyさんの演奏なくては、まだ成立しませんが、
パフォーマンスとしては、かなりいいレベルなものができたかと。

今までの私の即興一人芝居は、
「言葉からイメージを励起して、
そこに見えるビジョンに対し言葉を並べる」というスタイルでした。

そこをさらに一歩進めて
「言葉を並べるのではなく、
一つの単語、フレーズにもう一度集約する」

これをやったら、パフォーマンスとしては破壊力抜群でした。

しかしこれには、
恐ろしい程の集中力と、
言葉に対する感性と、
そして、自分の人生自体が試される状態でした。
まだまだはじめの一歩ですが、この一歩はGiant Stepです。

憧れのジュテーム北村さんに挑戦する気持ち、
今までの自分のスタイルを捨てる覚悟、
嘘で偽るのではなく、自分を正直に出しつつも、
それを暗喩の世界で、遊び尽くす事。

「魔女たちのエチュード」で魔女たちに教えたことであり、教わった事であり。
あらためて、今年一年関わってきた人々に感謝です。


では、記憶にとどまっている範囲で昨夜のパフォーマンスの記録です。
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お題は「師走」
これは、私より前に二人のパフォーマーが
やはり即興パフォーマンスをやるにあたってもらったお題。
なので、私もそれに従った。

たしかに、この時点では、純粋な即興ではなく
ある程度の準備はできる時間はあった。

でも、それを妨げるべく、
ミュージシャンSwingyさんのキーボードとのセッションを希望した、

今回は、即興一人芝居だけど、
開口一番の醍醐味でもある「ことば」の力を最大限に活かせるよう、
「語り」「シャンソン」のイメージでと、ミュージシャンにはリクエスト。

そして、スタート。

師走。
『「師」が走る』と書いて、師走。
ここでいう「師」は先生の事ではなく、お坊さんのこと。
そして、お坊さんが奔走するというと、私はある人の事を思い出す。

植木等のお父さん。
僧侶であり、敬虔なクリスチャンでもあり、労働者のために社会主義運動にも参加し、
特高により4年間の投獄されたという波乱万丈な人。
そして、その息子は音楽と芝居の世界で人々に笑いを巻き起こした。

別に職業がそうだからではなく、この方々は、世界中のみんなを愛してた。
だから、そのためにやる仕事が、たまたまその仕事だった。

「人生とは師走のようなものだ」
ラストに近づき、何か特別なイベントを求めるようになる。

「人生とは師走のようなものだ」
ラストに近づくと、これまでのいい事、悪い事を走馬灯のように思い返す。

「人生とは師走のようなものだ」
愛する相手がいるものは、お互いの愛を確かめ、
愛する相手がいないものは、己を抱きしめて、その寒さに耐える。

愛?愛?愛?

命をかけて恋しなさい
時間をかけて愛しなさい。

愛は待っているものじゃない。
愛は追い詰めるもの。
自分の両の腕でぎゅっとつかんで、ゆっくり抱きしめるもの。
かざったり、しまったりするものじゃない。

命をかけて恋しなさい
時間をかけて愛しなさい。

清く、正しく、美しく。

清く?
人間なんて半分はクソでできている。垢もでる。鼻水もある。汚いところだらけだ。

正しく?
この中で、過ちを犯した事のない者はいるのか?嘘を言ったことのない者はいるのか?

美しく?
美術品みたいな、無駄が一切ない者なんているのか?

本当の美しさは
無駄といわれるものを切り捨てることじゃなく、
それすらも愛せることじゃないのか?

命をかけて恋しなさい
時間をかけて愛しなさい。

あなたの恋は、愛には変わらないかもしれない。
あなたの愛は、裏切りになるかもしれない?
あなたの裏切りは、愛のもう一つの形かもしれない。

みんな誰しも、胸に愛がある。
その愛を届ける相手がいるか、どうかだ?

でも、たとえ今、届ける相手がいなくて、
寒さに耐えるように自分自身を抱きうずくまるのは待って欲しい。

少しだけでも、少しだけでも、あなたの胸の扉を開いて
あなたの中にある愛を誰かに丁寧に届けて欲しい。

そして、その愛が届けられたら、やさしく受け取って欲しい。

それが、たとえどんな形の愛であれ。

命をかけて恋しなさい
時間をかけて愛しなさい。

2013/12/16
トモヤのおばあちゃんへの感謝と、
ジュテーム北村さんの誕生日へのお祝いの言葉に代えて

のんべ蔵重