2006年にシアトルにインプロを勉強しに行って、
自分のインプロにとってショックだったこと。

”Improv is easy!!"ってことに、身をもって気づいた事。

なぜ、インプロは難しいと思っていたんだろう。
それは難しくなるように自分自身が考えていた事に気づいた。

予測できない未来は怖い。
これを怖くないと思う人は、
恐ろしく精神がタフにできているか、
もしくは感情が欠如しているかのどちらかと思う。

そして、見えない未来に対して、
ついつい自分自身の枠を作ってしまう。
「こうすれば大丈夫」「こうすれば無難だ」
「こうすれば一人ぼっちにならない」
「こうすればみんな受けるはずだ」
「こうすればいい演技だ」
「こうすればいいアイデアだ」

実はこれが罠。
こういうことを考えている間、
頭の中の世界に自分は没入していて、
目の前で展開している世界に対して何も感じなくなっている。

だから、頭の中から出たものを世界に放り出したときは
もうタイミングがずれて、その世界にちゃんと生きていけなくなる。
そして、苦しくなるから、また頭の中の世界に入り。。。
同じことの繰り返し。

未来は見えない。
でも、「今」「この場」は見える。


その「今」「この場」を素直に感じれば、頭で考える以前に
身体が感じている、心が感じている。
そして、それを信じてJumpする。
そうすれば、何かが起きる。
それは予測はできないが、Openな状態であれば
必ず心が、身体が、動くはずである。
世界には自分ひとりだけではないのだから。
たとえ、舞台の上でひとりでも、
舞台袖にいるプレイヤーやスタッフ、
そしてお客様がいるのだから。

インプロがすばらしいのは
見えない未来に立ち向かう姿が美しいから
 だと思っている。
まずはそこからである。

”Improv is easy!!"

ただね、それを表現するための
身体が、言葉が、感情がちゃんと使えないと
[ショー]としてのインプロは不十分ってこと。
やはり怖れがある以上、どこかで鍵がかかったりする。
そういう点は、千本ノックのように
日々の鍛錬ってことになります。

そして、その鍛錬のためにimprovのゲームが生まれたってことも、
改めて認識しておかないとね。
いつの間にか、インプロプレイヤーでなく
ゲームプレイヤーになってしまう恐れがあるから。
ゲームが上手になることと、インプロが上手になることは、
同じようで違うもの。
ほら、試験で点数がよくても、テクニックで点数を取っていると
その教科をちゃんと理解しているかどうかはわからないのと同じこと。

今日はここまで。