『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を観てきました。
蠍座の時期に観るのにふさわしい、蠍座監督による、蠍座主演俳優の、蠍座ムービーでした(笑)
206分という、ほぼ3時間半の濃厚さも含めて骨太な映画で、ここ最近観たものの中ではピカイチの面白さ。映画って素晴らしいなとしみじみ感じます。
あらすじは映画サイトなどに詳しいですが、1920年頃の史実がベース。ネイティブ・アメリカンのオセージ族の居留地から突如石油が湧き出して、オイルマネーで部族はたちまち全米屈指のお金持ちになります。
その利権に群がり、どうにかしてモノにしようとする白人たち。オセージ族からコヨーテと揶揄される男たちがネイティブのコミュニティに潜り込み、犯罪をおかしていく物語です。
犯罪モノですがミステリーではなく、犯行者側の視点で進む一本道ストーリー。主演のディカプリオが、こういう背景のオセージ族の居留地にやってきて、それがこうなって、こうなって、こうなっていった……と、ずんずんと進んでいきます。
ですから難解さはなく、ただ剥き出しの人間の感情と欲望、葛藤と愛だけが大きく浮き彫りになるという「人間」の物語。
お涙頂戴も甘いロマンスも排除して、人間の生々しくも愚かでリアルな欲望が全面に描かれた、まさに蠍座テイストな映画なんですね。
物語には二人の対照的な男性モデリングが登場します。ディカプリオ演じる主人公と、デニーロ演じる彼の伯父。
デニーロは男の欲望を黒さで染め上げたような人物像で、オセージ族に文化と教育をもたらし、彼らから仲間と認められ、敬愛され、町の名誉として、みずからを『キング』と呼ばせる男。
プライド、権力、名声、豪邸をモノとしながらも、飽き足らず、裏ではオセージ族の富を手に入れるため、淡々と冷酷に信頼を勝ち得た相手を闇に葬り去っていく、自己愛と欲得の権化である姿は、星座でいうなら「獅子座+冥王星」といったところでしょうか。
ちなみにデニーロ自身は獅子座ですが、齢80歳と思えぬ眼光の鋭さと表情ですべてを物語る演技力で、ラスボス感を堪能できます。
それは対照的なディカプリオ演じる主人公は、女と酒と金とギャンブルが好きな刹那的で享楽的な人物像で描かれる、どうしようもなくおバカなダメ男。大したポリシーもなく、物事を深く見通して考えているわけでもなく、その時々の感情と欲望に正直なだけ。
恐ろしくキレ者の伯父にあっという間に搦めとられ、逆らうことができず、しかし妻となったオセージ族の女性を愛しているのも事実で、その時々の周囲の意志と欲望のあいだで、気が付いたら自分でもどうしようもない深みと矛盾に陥ってしまったという姿は、星座でいうならさしずめ魚座のダメなところだけを煮詰めて抽出したといったところでしょうか。
海王星に呑み込まれてしまった人格ともいえますね。若者がお金欲しさに深く考えずに闇バイトに手を出したら、あっという間に組織に搦めとられて、引くに引けなくなってしまうのって、こんな感じだろうなと思わさせられます。
そんなダメを全面に出した人物に対して人は「大丈夫か、おい」と思いはするものの、底の浅さが見えるだけに、恨んだり、嫌いになったりはできないものです。
なのでダメでだらしない主人公のディカプリオなんですが、最後まで「あーあ、やっちゃったね~」と感じはするけれど、反発する気にはあまりなれないんですよね。そう思わせるディカプリオの演技がすごい、という話なんですけど。
一方でデニーロ演じる、自身の欲望に忠実すぎるナルシストでやさしくも冷酷な支配者に対しても、観客は魅了されるか、畏怖するかのどちらか、あるいはそのどちらも入り混じる複雑な感情を抱くわけです。これぞ、冥王星。
監督のマーティン・スコセッシのチャート。社会の闇と人間の精神を描き出すのが十八番の蠍座ステリウムです。
彼のチャートに持つASC獅子座と太陽蠍座のスクエア、隠された12ハウスの冥王星が、デニーロ演じるキングの男性モデルとなりそうな星ですね。
ディカプリオ演じる主人公はというと、魚座月-蟹座木星-蠍座太陽・金星で作られる水のグランド・トラインがモデルといえそうです。
どこまでもイージーに、その時々の感情と欲望だけに流されてしまい、あとになってから、月にスクエアの土星からすべてのツケを払わされることになった男。
トラインという角度はほんと、そういう意味で厄介で「深く考えずに、やっちゃおうか」とノリで動いてしまうのですね。
80歳の監督と、80歳のデニーロと、50歳目前のディカプリオによる夢の競演でした。劇場でぜひ☆