冥王星水瓶座時代について、いまひとたび、書いてみたいと思いますが、やっぱりこれはなんだかんだ「お互いに認め合う時代」なのだと感じます。
自分を正直にオープンにひらいていきながら、同時にそのまんま相手のことも受け入れていくこと……ですね。
これって、シンプルなようでいて、とても難しくあると感じます。色眼鏡をかけずに、そのままの相手を見ることが、普段できているでしょうか? 相手の発言や物腰から「きっと、こんな人」だと決めつけて、そうだという思い込みから、判断していることはないですか?
それは水瓶座の土星的な部分の発露でもありますね。傷つかないように自分を守るための防衛本能ともいえます。
でも、考えてみてください。水瓶座は「自由・友愛・平等」というフランスの標語みたいなものを大事にするサインです。そこでは相手の持っているものがなんであれ、それを表現する自由を認めることで、こちらの表現の自由も担保されるのでしょう。
想像してみてください。もし、ある島に漂着したとき、そこに言葉の通じない異人種がいたとして、どうやって、この人たちと出会い、仲良くなっていくでしょうか?
それはまるで動物同士が初めてエンカウントするような緊張感があるかもしれません。はじめはお互いが警戒して、ただ様子を見るだけかもしれないですね。
しかし警戒しているばかりでは、緊張感だけが募っていき、一向に距離が縮まりません。勇気を出して、こちらから距離を縮める必要があるでしょう。
でもそのときに緊張しながら相手の様子を窺うばかりでは、ますます向こうは警戒心を高めてしまうかもしれません。相手に受け入れてもらうには、まず自分からオープンに自分を見せて、相手を受け入れる準備があることを示す必要があるでしょう。
そして、そうして見せたときに、相手がどう反応するのかを見て、また、返していく。
私たちが誰かと知り合うときには、そうやってお互いを知り、交わっていくのかもしれません。
侵略が目的でないなら、相手の価値観や文化や方法を尊重する必要があるでしょう。そしてまた相手とは異なるこちらの流儀を知ってもらう必要もあります。
お互いの大切にしているものを理解し合い、それを尊重し合いながら、つながりを持つことができたら……それこそ、理想的ですよね。
この微細なバランスを個人間でとっていくのが牡羊座-天秤座だとすると、ひとつのグループの中で参加者全員で協力してやっていくのが水瓶座といえますね。水瓶座というコミュニティにおいて、ひとりひとりが太陽として、並び立つわけです。
2月11日を誕生日とする日本は水瓶座の国ですが、共同体の中で協力し合う体制が充分にある反面、同調圧力が生じやすい面もあると思います。ここはあくまで「協力しよう」であり「同じでないといけない」ではないんですよね。
異なる生き物同士が同じテリトリーを分かち合うように。ここには繊細な感性でお互いがバランスを取り合うことが求められるでしょう。
テリトリーを荒らされたくないからと、排他的になるのは水瓶座のネガティブな側面かと思います。ネガティブ=悪いということではなく、偏っているということです。
水瓶座バランス………自由で適度な距離を持ちつつ、お互いを尊重し合う
水瓶座ネガティブ+…仲間でいるためには掟に従わなくてはいけない(同調圧力)
水瓶座ネガティブ-…自由でいるために表面的にだけ付き合ったり、孤独に閉じたりする
水瓶座のバランスをうまくとれたときに、ひとりでは創り出せないフィールドを共に生み出すことができるかもしれません。
そのために自分をオープンにひらいて、正直に伝えてみる。相手のいうことを、そのままオープンに受け止めてみる。その交流から生み出されるものは、なんだろう?
水瓶座は「人間」を象徴する星座です。
人間性。ヒューマニティ。このことについてはまた、書いてみたいと思います。