今年の3~4月は常時4つほどの天体が魚座に集まる天体模様です。魚座とそれを支配する海王星は、私たち個々のあいだにある境界を曖昧にして、ひとつにすることをうながす星。
そのため無意識の世界とのつながりが濃厚になりやすい時期であり、さらにそれよりも深い集合意識とのつながりも作り出すでしょう。
もちろん、私たちはいつだって深いそれらの層とつながっているのですが、そういったものから余計なものが入ってきて混乱しないように、ビシッと向かいの乙女座が境界線を引いて守っているのですね。
しかし、こういう時期はぼんやりとしているときや眠っているときに、その検閲機能が働かなくなって、無意識の層からさまざまなものがドッと意識の領域に流れこんできます。
夢の中で普段は忘れているような懐かしい人物が出てきたり、激しい感情や得体のしれない未知の感覚を味わったりすることが多々あるでしょう。世界の誰かが味わっているものを分け合うことも起こります。
もしかしたら、自分の直接的な体験ではない記憶や感情までやってくるかもしれませんが、それが境界線を曖昧にしてしまう海王星の作用なわけです。
肉体という器におさまっている私たちの本体(?)は、本来は実体のないものですから、肉体の外側にある空間や他者の感情や物体に保存されている記憶などを、シームレスに体験することができます。
私たちはどこまでもつながっていて、本当の意味で分けることはできず、そしてどこの誰のものであろうとも、自身の内側で知覚された時点で、それは自分のものとして体験されるでしょう。
魚座シーズンはいつもよりも、そういうことが起こりやすい時期ですが、出生図の魚座・海王星・12ハウスが強調されていると、日常的にそういうことが頻発するわけですね。
幼少期から自分自身の感覚と世界で起きていることとが分かたれておらず、現実と無意識の世界との境界も曖昧で、他者の欲求や感情と自身のそれとが容易に混ざってしまうことが常態となりやすいでしょう。
他者の苦しみや痛みも、喜びも寛ぎも、自分のもののように感じられるので、何か痛みがあるなら、それをどうにかしようと家族に寄り添い、友達や恋人を助けてきたかもしれません。
あるいは他者のそれらに寄り添い、受け入れるあまり、周囲から不条理な扱いをされることもあったでしょう。
無色透明で、どんなものにでも染まることができるため、誰にどう扱われたのか、どんな環境で何を学んだかによって「自分はこういうものなのだ」と思いこんでしまったこともあるかもしれません。
でも、私たちの実体は、何にでもなることのできる、何者でもないもの。
いつも自由で、囚われなくて、色がないからこそ、世界で起こるあらゆることを鮮やかに体験できるもの。
外で起きる刺激に、心を揺り動かされて、そのたびに感情が揺れるかもしれませんが、それを味わうことで私たちは生きている、自身の命を実感することができます。
私は空。私は緑。私は海。私はきらきらと光る朝露。私は花。私は夜。私は月。
私は朝で、太陽で、光で、愛で。
私は怒り。私は悲しみ。私は嘆き。私はみじめ。
私は喜び。私は明るさ。私は平和。私は安らぎ。私は静寂。
そして、私はあなた。世界を構成するひとかけら。
私は何にでもなれる。
だからこそ、何者かであることを手放すことができるのが、魚座の季節です。とても美しい、人間の本質を体験するときだと思います。