2021年9月21日8:54に魚座の満月です
2週前の9月7日は11ハウスの乙女座新月でしたが、今回も11-5ハウスで太陽と月が向かい合う満月です。
ということで新月に引き続き「これから私は誰と、どんな風に付き合うか」「どのグループで活動しようか」というテーマと、その葛藤があるわけですね。
私たちは誰もがまったくどこの共同体にも属さずに生きることはできません。直接的、間接的な形であったとしても、集団と関わって生きてますね。
総裁選もたけなわですが、この満月の調停に入るのが冥王星であり、水面下で力の駆け引きが活性されていることを窺わせます。
この満月の2日後には秋分で、そこから秋の3カ月が始まりますが、どんどん新しい活動が始まって、展開していく流れがあります。
その流れに乗って、どこへ向かうのか……そのために自分の心を明らかにしておくときといえるかもしれません。
満月は、今の時期に私たちが体験することになりやすい葛藤と、そこに折り合いをつける方法を提示してくれます。
月が5ハウスに、太陽が11ハウスにあって、そのあいだに葛藤が起こるわけですね。これは今の時代にふさわしい葛藤のようにも思えます(笑)
5ハウスは「みんなから認められたい自分」
11ハウスは「みんなの集合体」
認められたい人たちが集まると、どうなるでしょう?
より多くの人から支持される人と、そこそこ支持される人、あるいはあまり支持されない人とに、分かれるかもしれません。選挙はまさにこれですね。SNSもこの傾向が顕著です。
私たちは誰もが自分の大切にしている価値があって、その大切なものから何かを創り出すことができます。そして私たちの表現したものが、社会にインパクトをもたらして、社会そのものを進化させてもいきます。
しかし、表現したものがほとんど誰からも認められなかったら、どうしましょう?
私たちはお母さんやお父さんに見てほしくて、友だちや先生に見てほしくて、全身を使って表現して見せたことがあるはずです。それでも見てもらえなかったり、受け入れてもらえなかったとしたら?
傷ついて、こんな思いをするぐらいなら、と、自分を隠す人がいるでしょう。
あるいは、別に見てもらわなくてもいいし!と、他者とは関わらずに表現するようになる人もいるでしょう。
あるいは、見てもらえるほうが価値があるなんて思うなよ!と、そういう社会や人に反発して見下すような態度をとったり「共に反抗する仲間」を作る人もいるでしょう。
そうして、社会のなかで自分として生きることを、あきらめてしまうかもしれません。
では、逆に認められたら? 親や先生や友達や上司が認めて、喜んでくれたら?
さらにもっと認められるようにと、欲求が肥大化し、自分の表現を増殖するでしょう。
その領域を広げるために、他者を押しのける必要も出てくるかもしれません。特に「席がひとつ」のときは、限りなく自分を拡大させて、その席まで手を伸ばす必要があります。
またそういった尽力をしない人、正々堂々と表現しない人に対して、どこか「下に見る」ような気持ちを持つかもしれません。
そうして社会のなかで他者は、自分を支持してくれる味方か、あるいは席を奪う敵か、関係ない第三者かと分断していき「お友達だけと協調」する方向へと進んでいくかもしれません。
この「自分と社会」との関わりを通して、バランスのとれた自我を磨いていく、というのが、5-11ハウスの主題です。
自分を表現しながら、社会と関わっていくというのは、なかなかパワーのいることですから「そこまでしなくていいです」と隠れてしまうかもしれません。
あるいは自分を表現しているうちに、他者に対してコンプレックスを感じたり、価値観の同じ仲間以外を無視したりということをするかもしれません。
この傷つきやすく、それでいて尊大にもなりやすい自我と共に社会のなかで生きていくというのが、新しく始まった時代の主目的です。
ありのままの自分でいながら、社会と関わること。
そしてみんなも同じように、尊重される必要があると知ること。
そこでの反応に対して、傷ついたり、悔しかったり、虚しかったり、調子にのったり、虚栄が高まったりしても、それを認めながら、しかしそこにとらわれすぎないように、主観と客観のバランスをとって過ごすこと。
ああ、なんて、むずかしいんだと、書きながら、わたしも頭を抱えています(笑)
まあ「それをしなくちゃいけない」ということではなくて「それに気づいていることで、バランスを取り戻せる」ということでもありますね。
清も濁も飲みこんで、自分の内から湧き起こる感情にも、感覚にも、思考にも、蓋をしないで共にいる。すべてを受け入れる海のような愛を育む、魚座の満月です