2019年12月22日13:19に冬至を迎えます
低い太陽が短く地上を照らす冬至は、陰が極まるピークのとき。
ここから日の長さは少しずつ長くなっていきますが、体感的には寒さがより増していくでしょう。
12月3日に木星が山羊座に入って以降、目に見える形、体感できる形で少しずつ現実が変わってきていることを実感しているかもしれません。
射手座から山羊座へ星が移動すると、思いを現実の中で実際に実現させていくということが始まりますが、その手始めに「現状がどうなっているのか」ということが思い知らされます。
そこには希望的観測や理想はなく、ただ、ありのままの「現実」があるでしょう。
これまで何を積み上げてきたのか、あるいは積み上げてこなかったのか、目の前にある現実がそれを端的に示しています。
今の事実が自分にとってベストであっても、そうでないとしても、わたしたちはここに働きかけることからしかエネルギーを動かすことができません。
それをラクせず、ズルせずに自分自身の手でやっていくのが山羊座のシーズンです。
わたしたちの有限の時間とエネルギーを何のために使うのか。
大きく何かが変容しようとする冬の始まりです。
山羊座に太陽・木星・土星・冥王星・ MC と揃い踏みする冬至図は、社会の形がこれまでとは異なる形に変わっていくことを予想させます。
解体・合併・再編成が大小問わず、さまざまなところで起こり、よりいまの実情にマッチする強力なシステムが社会の中で築かれていくでしょう。
近い未来に、気が付いたら生活がガラリと変わっている……ということが起こるかもしれません。
個人においてはどうでしょうか。
これは進化の時期であり、現実的なレベルでの変容の表れです。
しかし、わたしたちは過去からの記憶に翻弄されて、変容を恐れます。
もうこれはフィットしないと分かっていても、擦り切れている着古した服を捨てられないように。
だけれども、脱皮のタイミングが来ているにも関わらず、それを先延ばしにすることは危険です。
それはただ徒らに幼虫でも成虫でもない変容の苦しみの時間を引き延ばすことになりかねないでしょう。
山羊座のキーワードは「I USE(わたしは使う)」
何を使うのでしょう?
時間とエネルギーをです。
山羊座は無駄を嫌い、合理性を愛します。
出かけたついでに全ての用事を済ませたいし、連絡するなら全てをまとめて伝えようとするでしょう。
最小の労力で最大の成果を得ることを求める星座です。
なぜなら、わたしたちの人生という時間は有限であり、1日に動かせるエネルギーの総量もまた有限だということを知っているから。
すべてが新鮮な輝きに満ちている10代。
みずみずしい青さと希望あふれる20代。
自分と向き合い、社会と対峙する30代。
みずからの成熟をもぎ取りにいく40代。
精神と体力のあいだの安定を図る50代。
いずれの時も、その時、その一瞬しか、わたしたちは味わうことができず、失われたときを戻すことは誰にもできません。
その貴重な時間を、不可逆の時の流れを、最大に活かし、無駄なく、ぴったりと使い切りたいというのが山羊座の悲願です。
なので、山羊座はわたしたちに問うのです。
「有限の時間とエネルギーを、何のために使いたいの?」と。
山羊座は今ここの現実に、わたしたちをいざないます。
「いま、ここ」が最新だから、かつて始めたやり方が今の自分にベストなのか?と、問いかけもするでしょう。
もしかしたら、もう古くなっているかもしれない。サイズが合ってないかもしれない。フィットしていないかもしれない。
ちゃんとそれに気づいて、アジャストするように、不要なものをカットする。
これも山羊座の重要な仕事といえるでしょう。
ここで興味深いのが、冥王星の存在です。
現在、山羊座に滞在している冥王星が、木星と土星を深みへと連れて行きます。
再生、あるいは失われたものを取り戻すもの。
わたしたちはかつて「より合理的に生きるため」に、多くのものを切り捨て、諦めてきたかもしれません。
関係を円滑に活かせるために「言いたいこと」を諦めたかもしれないし。
傷つかないために「他者に甘え、頼ること」を諦めたかもしれません。
自分が否定されるから「相手を理解すること」を諦めたかもしれないし。
成果が出ないと苦しいので「頑張ること」を諦めたかもしれません。
それらがない方が、うまくいっていたときがあったのでしょう。
だけどいまや「それらがないために、先へ進めなくなっている」かもしれないのです。
相手に合わせてばかりで、関係がますます混乱してきたり。
他者に頼めないことで、孤軍奮闘がどんどんしんどくなってきたり。
遠ざけてきた相手と、話し合わなくてはいけない事態が起こったり。
本気を出さざるを得ないような状況に置かれたり。
かつて自分を守り、現実に適応するために切り離してきた自分の一部を「おかえりなさい」と迎え入れる時がきました。
何年も会っていなかった友人と再会するような気恥ずかしさがあるかもしれないし、戸惑いもあるかもしれないけれど。
I USE.
わたしがわたしの全ての使って生きるために、それらを置いて先へと進むことはできないのです。
しっかり者は他者に甘えて、甘えん坊は自分の足で立ち上がり、合わせ上手は正直に意志を表明し、一匹狼は群れに入ってみる。
それはとても怖いことかもしれないけれど。
失われたもの、あるいはこれまで使わずにきたものを人生に招き入れることで、わたしは、より完全なわたしへと近づくのでしょう。
これまで欠けていた、自分自身の欠片を拾い集めて、自分自身へと帰還する。
おかえりなさい。ただいま。
いつのまにか止めてしまっていた時の流れを取り戻して、自分の全てで今を生きる、変容の冬の始まりです。