2018年9月10日03:01に乙女座の新月です
草木も眠る丑三つ時、あらゆるものが静まる夜と朝のあいだの時間の、ひそやかな新月。
乙女座は、客観的にどこの誰から見られても「有能であること」をめざすために、個人の主観を抑える星座です。
自分が「どうしたいのか」ということよりも、まわりから「なにを求められているのか」ということを優先して、それにいつでも応える能力を身につけるでしょう。
乙女座の有能さが育つと、一流ホテルのコンシェルジュのように、どんなお客様のどのような要求にもたちどころに応えていくような実務能力と現実対応力が際立ちます
いま起こっていることに対して、速やかに判断をくだし、たちまちのうちに物事を実現させていくようにスケジュールを組んでいく才覚にも恵まれるでしょう。
そのような有能さを手に入れるためには、いくつかの通過儀礼が必要です。
まず、身につけたい技術や知識を教科書に則って、そのお作法を忠実にマスターする、というのが第一の通過儀礼。
そして身につけた技術や知識を実際に使いこなしながら、要領よくできるように、自分なりに質を高めていく、というのが第二の通過儀礼です。
どんどん能力が高まり、有能さが増してくると、どうすればいいのか、なにを拾って、なにを捨てるべきか、その判断もすばやくなるでしょう。
しかし、その弊害として、世界のすべてを「正しいかどうか」「有能かどうか」といった目で見るようになる可能性があります。
すばやく判断できない人は、無能で。
なにかを創り出すことのできない人は、価値がなく。
結果を出せない人は、バカ。
その基準が、じわじわと自分の首をしめるようにもなるでしょう。
完璧にできないなら、やりたくない。
もっとすごい人がいるなら、わたしがやっても意味がない。
結果が出るかどうか、わからないことは、こわい。
がんばって勉強して、能力を高めたことで、自分の実力が客観的に見えるようになり、世界と対峙することが怖くなるという矛盾。
やってみたい、けど、こわい。
勉強は楽しい、けど、実際に一歩踏み出す自信がない。
ある技術や知識の世界では、その能力の際立った、結果の出せる人が評価されるでしょう。
だけれども、それが決して世界のすべてではなくて。
できないことが、間違いではなく。
できない人が、無能でもない。
なにかができても、できなくても、わたしたちは同じような価値を持った人間で。
それができても、できなくても、人から大切に扱われて、愛される存在であることに変わりはありません。
一生懸命がんばるあまりに、忘れてしまったこと。見失ってしまったもの。
あまりにも強く、世界から求められるために、いつの間にはそれが「絶対だ」と思いこんでしまっている、数々の信条を一度手放して、ゼロに立ち戻る。
誰もが尊くて、誰もに価値があり、誰もが愛される存在で、誰もが正しい。
影を認めて、受け容れて、わたしのなかで「有能さ」と「無能さ」がひとつになる。
これが三つ目の通過儀礼です。
大人の才覚と、子どものひらめきとが、ひとつになる。
これこそが六番目の星座である、乙女座のテーマともいえるでしょう。
今回の新月は、この三つ目の通過儀礼である、統合がテーマにありそうです。
水星-土星-天王星が天に描く、地のエレメントによるグランド・トラインが、古い秩序やマニュアルをどんどん書き換えていくでしょう。
外側から求められるものがどんどん移り変わっていく時代を、軽やかに乗りこなすことは、乙女座の応答力を発揮すること
しかし、それができるのは、有能さを極めた乙女座です。
未熟な乙女座は失敗を恐れ、対応するマニュアルがないものを遠ざけようとするため、むしろ乗れる波に乗ることさえ、嫌がることがあるでしょう。
どんな無茶な要求にも笑顔で応じる有能な乙女座は、自分のなかの無能さを受け容れているはずです。
無能さを排除している人は失敗を恐れますが、それを受け容れている人は、どんなことでもトライしようとするでしょう。
マニュアルで対応できないことには、遊び心とひらめきで応じるかもしれません。
間違っても構わないと思っているから、すばやい判断もできるでしょう。
なにか起こったら、そのときに考えればいいので、余計な心配をすることもありません。
「有能であること」をあきらめたときに、真の有能さを手に入れることができるという、乙女座のパラドックス。
役立つ人間になろうと、隠しておいた役に立たない部分を、あえて出したほうが実はもっと役に立つことができるという不思議。
檻に閉じ込めてしまっておいた獣性を、勇気をもって解き放つ。
タロットの「strenghth=力」のカードは、獅子座の象徴ですが、それを抱いているのは少女であり、獅子座と乙女座を合わせ持つともいわれます。
子どもの遊び心を持つ獅子座と、力を合わせて共同創造することこそが、真に有能な乙女座となるカギなのかもしれず。
忘れてしまった本能が、隠してきた獣性が、そっと真夜中に解き放たれるような、新月です。