
およそ半年前の6月16日は双子座の新月で、海王星の影響がどんどん強くなり、わたしたちの無限の可能性のなかの、どこに焦点を絞るのかということがテーマでした。
2015双子座新月☆いまもっとも現実のなかで表現したいもの
http://ameblo.jp/light-side/entry-12038939274.html
そこから光あふれる秋分の季節を経て、まもなく冬至になろうとしているいま、焦点を絞った理想をひとつずつ、現実に落としこんでいくときがきています。
いつか見た遠い夢を、ひとつずつ、叶えていくときです。
それは、とても地道で現実的な作業かも知れません。
夢や憧れを現実に変えていく作業は、泡のようにふわふわしていた甘い思いが、リアルなしょっぱい汗となって手のひらに張りつくようなもの。
エネルギーを緻密なリアリティに注ぎこみ、最後の一滴まで気を抜かず、きりきりと絞りこんでいくことで、本当にほしかったものをつかみ取ることができるのでしょう。
蟹座29.99度から始まる新月です。
新しいステージが目の前にあって、そこへ進む準備はもうできているはずなのに、どこか恐れがあって、踏み出すことができない。
あるいはそれは不安ではなく、責任を取ることへの忌避感かも知れません。
人生を創造するという生き方は、誰かに頼ることから、自分の力を頼みに立ち上がること。
そこに不安を感じるけれど、いつまでもわたしたちは不安のなかにとどまっているわけにはいきません。
一歩、また一歩と、転んだり、後退しながらも、歩み始める。
繰り返し、繰り返し、注意深く、意識を全身にめぐらせて、その意識がくまなく身体に浸透するまで、繰り返していく。
わたしたちの内なるエネルギーは意識が先行してめぐっても、身体のなかにしっくり馴染むまで時間がかかるもの。
理屈がわかっても、ステップが容易に踏めないように。
だけど、繰り返し、鍛錬して、意識が全身くまなく行き渡り、沁みこんだときに、ふとステップを踏めるようになっている自分に気づくことでしょう。
わたしたちは完璧にプログラミングされたロボットと異なり、そのようにしか前進することができません。
経験を積み上げて、失敗を繰り返し、試行錯誤から身につけていくこと。
そうやって得た技術や技法は「わたしだけのもの」で、そうやって積み上げた経験は、自信を裏打ちしてくれます。
すべてが簡単に思い通りにはいかないけれど、いまの環境のなかで柔軟に、やれる限りのことを実現させていくときです。
わたしたちの魂は、いつでも経験を積むことを待っていて、その結果によって、また熱い創造のエネルギーが生み出されていきます。
しかし、ともすると、わたしたちは、やることにエネルギーを向けるより、「やれない理由」を並べ立てるほうが簡単かも知れません。
環境が整っていないから。
誰かに反対されるから。
あの人のようにうまくやれないから。
いまさらやっても意味がないから。
才能がないから。
現状への不満と、未来への不安と、自分のなかに渦巻く自信のなさを楯のように並べて、現実から目を逸らすことは簡単だけれども。
はじめなければ、失敗することも、傷つくこともないけれど。
自分のリアリティから目を逸らさせる「それら」にエネルギーを注ぐほど、わたしたちは自己存在から乖離してしまい、そして、ますます不満と不安と自信のなさばかりを募らせることになるでしょう。
いまは人生で起こっていることをしっかりと見て、そこでの役割と責任を自覚し、自分のあらゆるおこないのひとつひとつを吟味するときです。
なんのためにそれをしているのか、あるいはなぜそれをしようとしないのか。
行動ひとつひとつの意味を掌握し、それらをより自分が望む方向へ軌道修正することで、メカニックがすばらしい仕事を仕上げたときのような充足感を得ることができるでしょう。
改善と努力に心血を注ぐ、6ハウスの新月です。
活動宮における火星と天王星と冥王星のTスクエアが際立ち、人生における自己改革をうながしています。
世界を見て、そして自分を見て、高次の精神的な部分で、エゴイッシュな本能的な部分を統合していけるときです。
内にある葛藤や心地悪い部分こそが、目醒めのカギとなるでしょう。
心地悪いからといって遠ざけず、見ないフリをせず。
木星が乙女座に入宮しているあいだは、魂の個性がどんどん現実的な生き方のなかに立ち昇ってくるときです。
乙女座木星イングレス☆魂の本質に回帰する
http://ameblo.jp/light-side/entry-12059984439.html
この活動宮のTスクエアは、意識をアセンションさせる好機となりますが、自分の中の不満や不安や自信のなさ、無気力感などに向けると、破壊や反抗、苛立ち、焦燥、事故やトラブル、健康被害等につながるかも知れません。
エネルギーは良くも悪くもなく、ニュートラルなもの。
使い手の意図によって、結果が変わります。
自分のなかのもっとも弱くて多感な側面をともなって、一歩ずつ、ステップを登っていく。
最初はつたなく、何度も転んだり、思うように動けなかったり。
わかっているのに、できなくて地団駄を踏んだり。
くやしくて、傷ついて、荒野のなかでたったひとりで立ちすくんでいるような気持ちになったり。
だけれども、その道を進むことで、わたしの内側に、才能と資質が深く刻まれていき、その創造のエネルギーによって、魂が熱く成長していくのでしょう。
自分の内に、どのような生き様を刻んでいきましょうか。