2015蠍座ウエサク満月 ☆ 地上に描かれる軌跡 | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

5月4日の12:41に蠍座のウエサク満月です


旧暦4月15日の満月は、とてもパワフルなエネルギーが世界に降り注ぐ日。

ヒマラヤのウエサク渓谷をはじめとして各地で祝祭がおこなわれるこの満月は、釈迦が悟りをひらいたとされています。


普段から修行をしているわけではないわたしたちも、意識のアンテナをそこに向けることで、なにか大きな気づきや目醒めがもたらされるかも知れません。

わたしたちがより意識的に目醒めていくことは、人間世界の進化の方向に関わること。

世界が大きな過渡期にあるいま、日々をどう過ごすのか、わたしたちの一瞬一瞬の在り方が大きな流れにつながっているのでしょう。


2015年春分の1年のテーマを表わす上昇宮は牡牛座の13度でした

2015春分 ☆ 誠実に豊かに心地よく

先日4月19日の新月は、牡羊座の守護惑星の火星が牡牛座の13度にありました

2015牡羊座新月 ☆ 天球のハーモニー
そして今回のウエサクは月が蠍座13度-太陽が牡牛座13度の満月となります


また昨年のちょうどいまごろ、グランドクロスという惑星による十字が天に描かれていたのですが、そのとき、もっともタイトなクロスが13度で形成されていました。

グランド・クロス・ピーク (1)・新しい時代への通過儀礼


天の星たちが何度も繰り返し、わたしたちが『これまでとは同じではいられないこと『パターンを超えていくことを伝えています。

わたしたちはときに、なにかを変えることや新しい一歩を踏み出すことを躊躇したり、怖れを抱いてなかなか進めなかったりすることがあるでしょう。

新しいパターンに踏み出さなければ、失敗して傷つかなくて済みます。

そのため自信がついてから、できるようになってからやろうと思うこともあるでしょう。

しかし、やってみなければ自信はつかず、できるようにもなりません。


この世には、絶対的なことがふたつあります。

ひとつは、すべてのものは空間のなかで変化し続けているということ。

遅い、速いという差はあれど、どんなものも、少なくともわたしたちが存在しているこの宇宙のなかでは、あらゆる物質が姿カタチを変え続けています。

決してひとつのところ、ひとつのカタチで留まることはできませんし、あらゆるものは分解と再構築を繰り返して存在しています。


そして、もうひとつの絶対的なことは、いま、わたしたちが生きているということ。

至極当たり前のことですが、わたしたちは普段、生きていることを意識しないことのほうが多いでしょう。


わたしたちが生きていることを意識するのは、なにかを達成したときや、むずかしいことを成し遂げたとき。

病気になったときや激しい不安に襲われたとき。

自分や親しい人が命の危機にさらされるとき。

事故や事件や天災のニュース。どこかで戦争がはじまったとき。誰かの命が消えたとき。


わたしたちは怖れを乗り越えたときに、あるいは死に近づいたときに、いま生きていることを思い出します。

「いつか死ぬかも知れない」という不安は、わたしたちの生命に強いストレスをもたらすので、普段は忘れてしまうのでしょう。

わたしたちはすこしでも不安を感じると、それに気づかないフリをするのが得意です。

あるいは、その不安にすくみあがり、身体をこわばらせて、新しい一歩を踏み出す足を留めることも。

自分をごまかし、不安から目を背け、楽しく、夢のようなことだけを考える……それはわたしたちの生存本能が持っている回避欲求かも知れません。

だけれども、その回避欲求が強くなりすぎると、今度は生きる歓びや生命力そのものが麻痺してきて、積極的に新しい道を切り拓く意欲も、勇気を出して飛びこむことで獲得する歓びも、むずかしいことを成し遂げる達成感も薄れてくるでしょう。


わたしたちはとても儚く、命はある日あっけなく、簡単に終わってしまうかも知れません。

ここ数十年のあいだに寿命が限りなく延びて、病気の治療法も多く見つかり、日本は世界で指折りの豊かな国になったけれど。

日々を漫然と過ごすには人生は長すぎるかも知れないけれど。


だけれども、本当になにかを成し遂げるためには、あまりにも人生は短すぎます。

どんなに賢明に学んでも、人類が創り続けてきた叡智の柱の足元にも及ばず、記録を伸ばすために最高の身体状態を維持できる時間はひとときしかありません。


いま目の前にいる人と、明日も同じように過ごせると、わたしたちは思いこんでいて、つい忘れてしまうけれど。

そのとき、その瞬間が宇宙の果てしない永遠のような時間のなかで、ほんの砂粒のような確率でめぐりあっている一期一会。


だから、愛している人に、愛していると、いま感じているときに伝えて。

憎しみにとらわれ続けるより、嫉妬の炎に身を焦がすより、自分自身に滋養と赦しを与えて。

暗闇にとらわれているときは他者の手を借りて光明を見出し、自分の弱さと愚かさを甘んじて受け容れて、そんな自分を愛してみる。

いまできること、今日できることを先延ばしにしないで、しっかり集中して、いま、成し遂げて。

たくさん笑って、たくさん話して、大好きな人たちと過ごす時間を大切にして。

家族を愛し、友人を愛おしみ、部屋を美しく整え、心地よく眠り、おいしく食べて、わたしをすこしでも健やかに、安らかに過ごさせてあげよう。


特別なことでなくてもいいから、自分のできること、好きなこと、良いところをすこしずつ認めて、成長を重ねていき、自信を養って、社会になにかひとつでも差し出してみる。

愛する人に手を伸ばして抱きしめて、大切に愛のことばをささやくように、自分自身を大切にていねいに扱って「わたし」のなかを愛と光で充たして。


わたしたちひとりひとりの意識が、その生き方が、全体とつながって大きな方向を決めているのだとしたら。

わたしがいまここで『生きていること』に目醒めながら、自分の人生になにを与えるか、自分自身の身をどこに置くか、自分をどう扱うか、なにを選択するのか、そういった一瞬毎の積み重ねが地上に描かれる軌跡となるのでしょう。