誰かのために | SOAR ~飛翔~

SOAR ~飛翔~

飛びたくて飛びたくて、必死に羽ばたいて、
飛び立てなかった鳥は、今日もあの空を見上げる。

昔の自分にとって、誰かのために動くことはエネルギーだった。
誰かのためには自分のためだった。
そうしたいからする、それだけのことだった。
もしかしたらそれは、その誰かのためになっていないことなんてたくさんあったかもしれない。
誰のためになっているか、何のためか、決めるのは結局その人次第だ。

それでも、人のためになったって、感じるのはどんな時なんだろう。

その人が笑ってくれた時。
ありがとうって言ってもらえた時。

たぶん私は、そういう時に人のためになったと思うし、それはまた次の行動への、エネルギーになってたんだと思う。

やりたいからやってるだけなんて書いたけど、なぜやりたいかと思えば結局、人の笑顔が見たいからなんだ。


何をやっても怒られる経験は初めてだった。
何をやっても文句言われる経験は初めてだった。
何一つ認めてもらえないなんて経験は初めてだった。
自分だけ、全員から。
そんな経験は初めてだった。

本当に全て自分のためだと思っていたら、それでも満足できていたのかもしれない。

一緒に笑ってくれる仲間なんていなくても、満足できたのかもしれない。

結局は自分が、弱かっただけなんだろうか。
何を以て弱いって言うのだろうか。


自分が生きてきた21年間の正しさが覆されて、22年目を終えて1ヵ月経った今でも、いまいち自分を取り戻せずにいる。

自分を取り戻す。

こんな表現をすること自体、現実から逃げているのかもしれないし、同時にそれは、
今の自分が正しくないと、昔の自分が正しいと、思っている証拠なんだろう。


誰かのために何かをしたいと、思えない自分がいる。

何をしても無駄だと、感じてしまう自分がいる。

どうせ自分は正しくない。

どうせ自分は排除される。

どうせ自分は一緒に笑うことはできない。


自分の全てをかけてたものだ。
これからその道で生きていこうとしているものだ。

生きていく意味を感じなくなったのも、納得できる。
あのまま死ぬことも幸せだったんじゃないかって、今でも思う。

たぶん初めて、心から自分のためを感じた時だった。

誰一人わかってくれない。

それでも、よくやったって、お前は全力を尽くしたって、やりつくしたって、自分をほめてあげられた時だった。

だから、これ以上ひとりで、生きていく意味なんてなかった。

喜びも悲しみも共有できず、ひとりで生きていく意味なんてなかった。

違う、ひとりで生きるには限界だった。

ひとりで頑張るには限界だった。


私はひとりで生きていかなきゃいけない、誰にも頼っちゃいけない、苦しいなんて言ってはいけない。

満足だった。
やりきった。

心からそう思っていた。



何も特別なことじゃなくて、今までが幸せ過ぎたのかもしれない。

あぁいう状況に対応できる力を、情けないことに、私は持っていなかった。

生きがい、って、
そういうものなんだろうな。







朝から何書いてるかわかんなくなった。


早く準備して教習行ってこよう。