人はみんな何かに所属して生きていて、
所属というものは結局自分の意識の問題で…
みたいなことを前に書いた。
それの続きみたいな感じ。
その集団が集団として機能するかどうか、は、
だから、ひとりひとりの意識の問題なんだと思う。
部活っていうのは、
私が思うに、それぞれが意識的に選んで、
そしてそのためにかけたいという思いが強い人の集まりで、
だから、自然と、
そこに集まった人の関係というのは強くなるし、
一緒にいる時間は長くなるし、
なんだろう、
そこを最も高い優先順位に置く人の集まり
っていうのかな、
つらいこと、苦しいこと、いっぱいあるけど、
でもそれでも、
励まし合って、助け合って、一緒に乗り越えて、
同じ目標に向かって、
時にはぶつかりながら、切磋琢磨しながら、向上して、
そして一つのことを一緒に達成する、
一緒に泣いて、一緒に笑って、
いろんなものを、たくさんのものを、共有する、
そうゆう集団なんだと思うんだ。
だから私は部活が大好きで、
部活がすごく大事だと思ってて、
一生部活にかけたいと、
ひとりでも多くの人に、
部活を通して、大切なものを得てほしいって、伝えたいって、
思ってるんだと思うんだ。
所属っていうのはさ、包含関係があって、
例えば、
部活⊂学校
であって、たぶん、部活にかけてる人ってのは、
その、部活を頑張ることで、学校に所属してることも意識してて、
学校に所属してることの役割、責任も果たそうとしてて、
それでまた、学校という組織、集団が、うまく機能するんだと思う。
一方でひとりの人は、複数の、包含関係におさまらない集団に所属してて、
例えば、
部活∩クラス∩バイト先∩…
とかで、
それを、誰もが均等に意識して生活してるかと言ったらそうじゃなくて、
でも誰もその組織を優先しなかったら、その組織はおそらく成り立たなくて、
少なくとも何人か、リーダーとなる人がいて、核となる人がいて、
その集団を優先してくれる人がいるから、
それぞれ機能してくんだと思う。
もし…
自分の所属してる最小単位の、自分が最も優先してる集団が、
優先順位の低い人の集まりだったら、
それはたぶん、孤独を感じることになるんじゃないのかな。
集団が機能してないことになるんじゃないのかな。
部活がやりたくてしょうがないのに、
周りは、それよりもバイトが、それよりも他のサークルが、大事だったら、
クラスにいるのに、
みんなそれぞれ、クラスを2番目以下の場所としていたら、
孤独っていうのは、そこから生まれるんじゃないのかな。
あなたの所属は?って聞かれて、
同じ場所を答える人がいなかったら、
あるいは、
自分が核とする集団を、持っていなかったら、
それはどうしようもなく、
つらいんじゃないのかな。
中学生の仲良しグループみたいな、
なんて幼稚なんだろうと思うけど、
なんだか、そんな感じがする。
私の所属はどこだろう。