人の感情の大きさは、何か機械で計って、数値化することができない。
転んで擦りむいて、それが死ぬほど苦しいと思う人がいるかもしれない一方で、
身体中の骨がバラバラになっていても、大丈夫だと思う人がいるかもしれない。
「ばーか」って冗談まじりに言われた言葉で、ズタズタに傷つく人がいるかもしれない。
どれだけ罵られても、少しも傷つかない人がいるかもしれない。
その人にとって何がどれだけ苦しいかなんて、その人にしかわからない。
いやたぶん、その人にもわからない。
自分にとって何が1番苦しいのか考えてみる。
きっといくつか候補が挙げられる。
でも、それらを全て経験して、苦しみにはっきり順位をつけることなんてできないだろう。
今まで、どれだけ苦しいことを実際に経験してきたとしても、その、今まで苦しかったことと、まだ経験してない、予想される苦しみと、どちらの方が苦しいかなんて、自分でだってわからないだろう。
1番大切なモノを失うというのは、多くの人にとってかなりの苦しみだと思う。
でもじゃぁ例えばその“1番大切なモノ”だって、人によって全然違うだろう。
家族が大切だって言う人もいるかもしれない。
友達が大切だって言う人もいるかもしれない。
毎年ボードに行くことが大切だって言う人もいるかもしれない。
毎日お酒を飲むことが大切だって言う人もいるかもしれない。
有名人にもらったサイン。
一生懸命集めたフィギュア。
大好きなアイドル。
そんなの、人によって違うと思うし、それでいいと思う。
大事なのはさ、自分と違う誰かを、尊重することだと思う。
昨日の『赤い指』でも言ってたけど。
絶対的な「正義」なんて、「正義」に正解なんてなくて。
極端な話、誰だってヴォルデモートは悪者だと思うだろうし、私だってそう思う。
でもそれだって、あくまで“自分の”「正義」に当てはめてるからでしかない。
ヴォルデモートはそれが「正義」だと信じてやっていたんだ。
理解しようとしたって理解できないこともあるし、相手にとってはそれが正しいからなんていちいち全て考えていたら、世の中は成り立たなくなるだろう。
私にとっての「正義」は、今の形じゃない。
でもみんなは、それが「正義」だと信じてるんだろう。
そしたらそれを、私がどうこうできることじゃないんだろう。
だからしょうがない。
これが、何度も何度も何度も考えて、何度も何度も何度も行きつく、答え。
…でもしょうがないと思えなくて、だって私は正しいと思えないんだから、それはしょうがなくないことで、
どうしたらいいだろうってまた考えてしまって、
…
その繰り返し。
それが、あれから、1日も欠くことなく、毎日。
何十日、いやもう何百日だろうか、毎日。
それ以外にも、それに伴っていろんなことが、毎日。
自分は何が正しいと思う?
自分の信念は、正義はどこにあると思う?
どうしたらいいと思う?
毎日、毎日、毎日。
…考えたくないのに考えてしまうことが、純粋に楽しみたい娯楽にまで全てつなげてしまうことが、苦痛でしょうがない。
これだって私にとっては、苦しみ。
いつになったらこの苦しみから解放されるのか…
それとも、もしかしたら解放されない方が正しいのか…
…私の苦しみは終わらない。