赤い指 | SOAR ~飛翔~

SOAR ~飛翔~

飛びたくて飛びたくて、必死に羽ばたいて、
飛び立てなかった鳥は、今日もあの空を見上げる。

見ず知らずの女の子を殺した息子を、両親がかばって、挙げ句の果てには無実のおばあちゃんに罪を着せようとした話。


家族でテレビ観てて、妹達は、散々罵った。
例えば殺した息子を。

でも私は同情した。
息子も被害者だって言った。
家は家庭崩壊で、学校ではいじめられて、この子だって被害者じゃんって、言った。

もちろん、だからって人を、しかも全く罪もない見ず知らずの女の子を、殺していいとは少しも思わない。

人を殺した息子は犯罪者だ。
でも息子をいじめてた子達は、少しも罰せられないし反省することもないし苦しむことなんて一切ない。
むしろ、やっぱりあいつはろくでもないやつだと、いじめられて当然だと、自分達をますます正当化するだろう。
もしくは、自分達がいじめてたっていう自覚なんて全くないかもしれない。




それはさ、しょうがないのかな。


もし、この息子が、他人を殺さず、自殺していたら。

そしたら息子は“被害者”で、いじめてた子達に少しは焦点が当たるのかな?

それでもきっと、その子達は関係ないんだろうね。

学校のせいになって、たくさんの教師を、どこまでも苦しめるだろうね。






何が正しいんだろう。

どこに正義があるんだろう。



私は正しいと思わない。

こんな世の中正しいと思わない。


でも、しょうがないのかな?


じゃぁ何かしろよって、じゃぁ世の中変えてみろよって、そうだよね。




でもじゃぁ、おかしいことなんて世の中にいくらでもあるけど、何もできないんだから、かわいそうだけどしょうがないねって思うしかないってのが、正しいのかな?




どうしたら全ての人が救われるんだろう。

どうしたら正しい世の中に、私が正しいと思う世の中になるんだろう。





しょうがない、じゃなくてさ。


少なくとも私は、真剣に考えるべきだと思うし、そのために自分ができることを、探して、見つけて、微力でも、全力でやるべきだと思う。


そうする人が1人でも多くいたら、少しずつでも、何か変わるかもしれないし、1人でも多くの人を、救うことができるかもしれない。




例えば私は、教師になることで、もしかしたら、1人でも多くの生徒を、救うことができるかもしれない。
何か伝えることができるかもしれない。






何も変わらないかもしれない。

でも私は、それが意味がないことだとは思わない。



少なくとも、私が、私自身が、そうやって生きる意味を感じられるなら、

それは私にとって、すごく意味があることなんだと思う。