10月になっても暑いですね
涼しくなるのを ずーっと待っているような...


断捨離®︎前は いろいろと
ずーっと待ってたなあ 

「わたし 待つ〜わ〜 🎵」と


「待つこと」についての師匠やましたひでこの
随分と前のメルマガです

._._._._.。.ここから

待つことって、辛いですよね。

とっても辛抱のいることだから。

 

たとえば、待ち合わせの場でずっと待つ。

 

たとえば、帰りの遅い夫を待つ。

たとえば、なかなか戻って来ない子供の帰りを待つ。

 

あるいは、人がねぎらいの言葉をかけてくれるのを待つ。

あるいは、人が感謝を表してくれるのを待つ。

あるいは、人が謝ってくれるのを待つ。

 

「ご苦労様」「有難う」「ごめんなさい」の言葉を、私たちは人に期待して待つ。

 

 

 

家の中では家族が断捨離してくれるのを待つ。

そうだ、いつか捨ててくれることを待つ。

 

この家族が溜め込んだ"わたし”を悩ます邪魔なモノどもを、

舅姑が、夫や妻が、親や子供が、捨ててくれることを。

 

誰かが何かをしてくれることを待つ。

黙っていても相手が察してくれるのを待つ。

 

”わたし”が待っていることを分かって貰えることを待つ。

 

 

待って、

待って、

待って。

 

そして、そうしてくれないことに苛立ちを覚え、

そうならないことに怒りを覚え、

やがては、暗澹たる気持ちに陥っていく。

 

そうして、悩みを深めていく、誰も、"わたし”のことなど分かってくれないと。

 

 

待つことは、相手への期待とも言えますね。

 

けれど、その期待に応えるのは相手の領域。

だから、思いどおりにならないことの方が常なのかも知れない。

 

なぜなら、相手には相手の事情があり、それぞれの思考感性価値観があるのだから。

 

 

だったら、どうしましょうか。

 

ひとつは、待つことを手放していく。

そう、相手への期待を断捨離する。

 

でもこれは、言葉で言うのは簡単だけど、なかなかのトレーニング、修練が必要なこと。

 

 

けれど、究極、断捨離の目指す境地はこれ。

いわば、断捨離の「離」の世界。

 

ああ、まだまだだね、この私、やましたひでこも。

 

私自身、この螺旋階段を、ひとつひとつ、一段一段、登ってる途中で最中だから。

 

 

だとしたら、せめても、待つこととは、

相手へのこちらの都合でによる期待にすぎない場合があることも、その時々で意識して自覚できる自分でいたいと思う。


._._.\._._._._ここまで


良い主婦と思われたい!
良いお母さんと思われたい!

と 誰かに自分の事を
そう思われたい と思うのは 期待ですよね

そして そんな風に人への期待でいっぱいだった時は
「ずーっといろんなモノやコトやヒト待ってた..」

あくまでも 「受け身」

他人軸バリバリ 筋金入り笑い泣きでしたね...

断捨離®︎で自分軸取り戻したら
「期待して待つ」のがすご〜く少なくなって

人は期待するものだと 分かったので
期待はゼロにはならなくて
その状態も俯瞰的に楽しめるのが
なんかいいなあ! と思ったりします。

日々 精進ですね!


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