十字架
いじめられっこ・フジシュンは自殺した。
フジシュンの遺書にはいじめの首謀者二人と、僕と中川さん二人の名前が書いてあった。
僕には「親友でいてくれて有難う」と、中川さんには「お誕生日おめでとう」と。。。
僕は何もしてやらなかったのに、「親友」なんて呼ばれるほどのことなんかしていないのに。
僕と中川さんはフジシュンのことを引きずりながらずっと生きてきた。
そして大人になったいま、僕はフジシュンとの約束を果たしに行く―。
感想
僕は遺書に「親友」と勝手に書かれたせいで
フジシュンの遺族の対応が辛いものへと成ってしまう。
また中川さんもフジシュンとかかわりがほとんどなかったのに
フジシュンの片思いの相手だったから遺書に名前を書かれてしまい、
そして自分を責めてしまう。
いじめの首謀者たちも、それなりに不幸?な道筋を辿ってしまうことになるし、
フジシュンの遺族も僕のことをどうしても許せない。
結局、いじめとはそういうことなのだと思った。
加害者も被害者も傍観者も、みんなみんないつかは「いじめ」のことを振り返るときが来る。
それは苦い嫌な思い出にしかならない。
やはり、重松清の作品は何かを考えさせる。

