はい、「君の膵臓をたべたい」読みました。今ごろ。

なんか映画あったなぁ、くらいの知識で、

あらすじも何も知らずに、ただ「膵臓」って言葉が気になってて。

自分自身が膵臓の値がよくないって言われてるので。

 

今回、ちょっと内容重いかもしれません。

いつもノーテンキな私のブログにしては。

 

主人公の女の子の方が膵臓の病気で余命1年らしいんだけど、

冒頭いきなり死んでるし・・・。

まぁ、だからこそ、なんで?どうやって?と読み進めていくわけなんですが。

 

ごく最初の方で、気になる文章がありました。

 

普通に生きていて、生きるとか死ぬとか、そういうことを意識して

生きている人なんて少ない。事実だろう。日々死生観を見つめながら生きているのは、

きっと哲学者か宗教家か芸術家だけだ。あと、大病に侵されてる女の子とか、

彼女の秘密を知ってしまった奴とか。

「死に直面してよかったことといえば、それだね。毎日、生きてるって思って生きるようになった」

 

もうすぐ術後1年。

昨年の今ごろ、EPS検査入院の結果、ブルガダ症候群が確定し、

S-ICDを植え込むことを医師から強く勧められた。

まだ決めかねているのに、医師たちは着々と今後の段取りを進めていく。

 

私の命を救うため?

まだ例の少ない手術がしたいから?

この手術をすると、病院ががっぽり儲かるの?

 

降ってわいた自分の病気を受け入れること。

これからを決断しないといけないこと。

今夜にも発作が起こって、明日目覚めないかもしれないこと。

 

いくつもの考えが頭の中でぐるぐる回って、

考えたくない、でも逃げられない。

決めなくちゃならない。

 

昨年の今日は、術前のトレッドミル検査の日だった。

毎晩、「明日はないかもしれない」と思いながら眠るのが怖くて、

その怖さから早く解放されたくて、手術候補日の早い方でお願いしようと決心していた。

 

普通に生きていて、生きるとか死ぬとか、そういうことを意識して

生きている人なんて少ない。

 

そう、それまでは普通に生きていた。

生きるとか死ぬとか、意識せずに。

心臓が動いているか、も意識せずに。

夜、眠って目覚めたら、朝になっていることを疑うこともなく。

生まれた以上、いつか死ぬことは決まっていることだけど、

それはまだまだ先のことだと、ぼんやり生きていた。

 

心臓が突然役目を果たせないような発作を起こす病気と分かって、

初めて、生きていることは、当たり前のことじゃないとわかった。

朝、目覚めると、「お!もう1日生きてもいいらしい」なんてことを

考えるようになっていた。

 

術後、時間が経って、また、これから先が必ずあるような気になってきている。

トシもトシだし、とりあえず解決している(?)心臓以外の病気にならない保障はない。

前にも書いたけど、

先延ばししてたら、その「先」がないかもしれない。
やりたいことは、早くやる。
おいしいものは今食べる。

 

・・・と、久しぶりに本読んで、文学的になった私でした。

私って影響受けやすいヒトだったのね・・・。