自信が能力を生み出す

自信がある、と言うことは素晴らしいことである。それが単に自惚れにしか過ぎないことであっても、自信らしいものを持つことは好い。自信を持っているときは顔が輝いている。自分で自分の心に、「出来る」と言う暗示がかかっているからである。何ごとかをやっていて、ひょっとそれが出来、自分でもビックリすることがある。

出来た、と思う。もう一歩進んでも、出来るのではないか。ひょっとしたら、出来ることと出来ないこととの差は、天地雲泥の差ではなく、出来ると思うか、出来ないと思うかの差ではないだろうか。








われわれは顔、スタイルなどのような肉体に魅力を感じるが、肉体の何が惹きつけるのだろうか。

たとえば顔に魅力を感じる場合、その顔に口がついているからだろうか。むろんそうではない(もし口がなかったら気持ち悪いだろうが)。ではそれが蛋白質でできているからか。そうではない(ステンレスでできていたら気持ち悪いだろうが)。

蛋白質でできていても魅力を感じないものはいっぱいあるから(むしろ、汚いもの、気持ち悪いものはだいたい蛋白質でできているのではないかと思う)。

ではそれが顔だからか。それも違う。顔であっても魅力をもたないものがあるのだから。

目や鼻が特定の位置関係にある、ということさえ原因であるわけではない。その位置関係にあっても、それが美しくなかったとしたら、魅力をもたないであろう。

結論を言えば、われわれを惹きつけているのは、その顔に宿っている美しさである。

もし美しさがそこになかったら、その顔がどうなっていても魅力は感じないのである。


同じことが肉体全体についてもあてはまる。さらに、肉体にかぎらず、相手の行動や性格や心に魅せられる場合にも同じことがあてはまる。すなわち、それらは美しいがゆえにわれわれを惹きつけるのである。

だから外面に惹かれる場合でも、内面に惹かれる場合でも、本当にわれわれを惹きつけているのは美しさなのである。それ以外の要素は言ってみれば余計である。


美しささえあれば、それをもっているのがカバであろうと、石ころであろうと、ピタゴラスの定理であろうと、われわれは愛するであろう。まして、それがA子であろうとB子であろうと、美しくさえあれば、どっちでもよいのだ。それどころか、愛している相手がA子であるという事実は、純粋の愛を不純にするただの夾雑物にすぎないのである。


     ープラトンー



愛することの一側面として

言われたいことは、言ってあげたらよい。してほしいことは、してあげた方がよい。

「与える」をすべての行為に先立たせた方がよい。あげるから返ってくる。信頼することで信頼されるように。語ることで、語られるように。

そして「この人は信じられるのかどうか」という自己保全丸出しの願望で人を見るより「この人になら裏切られても構わない」という潔い諦観を持っていたい。「これは完璧なのかどうか」だなんて減点方式で物を突き放したくない。「これを面白可笑しくするのは、育てて愛でるのは自分なのだ」という加点式で寄り添いたい。

人のせいにしない。最後の責任は全部、自分に負わせるのです。


   人との関わり方 難しい🦭



「人間が本当に愛するものを見つけるのはとても大変なことで、それがすべて、要するに人生の中心だと思うね。

一生かかっても、ついにそれが見つからない人も多いと思うんだよ。

だけど、ドアが閉まっていても、いつかは絶対に自分の好きなものが見つけられると、そうゆうふうに導かれているんだと信じることだね。

だいたいは、どこもかしこも閉まっていると、絶望的になっちゃうんだよ。

だけど、あっちこっち叩いているうちに、どこかのドアがポンと開くと思うんだね。

その開いたドアが、自分のいちばん求めている、愛するものへの道だと、とりあえず信じるんだよ。そこへ入る、またドアが全部閉まっている。必死になって叩くと、またひとつだけドアが開く。

そうゆうところをひとつづつ通過しているうちに、いつか、ものすごい光が自分の中に出てくるはずなんだよ🚪」


    ーリチャード•バックー







チャレンジによって起こる変化が大きいほど不安は大きくなる。

つまり、不安とは、本能を克服して挑戦している君の勇敢さが鳴らしている進軍ラッパのようなものだ。


その恐怖心の半分以上は、自己保存の本能が映し出しているフィクションに過ぎない。

この山を離れたら餓死するぞ!と脳が君に見せている幻覚なのだ。君の理性がクビになること自体を恐れているのではなく、脳が本能レベルで変化によって起こるストレスを避けるために君をビビらせているだけだ。

そうやって脳に騙され続けて、多くの人が"変化"をできるだけ避けてきた。だから、変化がいつまでも怖いのだ。そんな"痛がり屋さん”ばかりがどんどん増えて日本はおかしくなっていっている。


不安であればあるほど、君は勇敢なのだ!

もう1つ、不安は未来を予測する知性が高いほどより大きくなる。不安であればあるほど、君の知性が真摯に機能しているのだ!

挑戦する君の,勇敢さ"と知性"が強ければ強いほど、よりくっきりと映し出される「影」こそが、実は・不安"の正体だと理解しよう。


ビジネスの戦場でとんでもないことが起こっていても、そういうワチャワチャした不安定な状況を楽しめるようになり、しまいにはそんなときでも笑えるようになっていく.....。

それは「ドM気質だから不安を克服できる」ということではない。最悪なことになっても、それは最悪ではないことがしっかりと理解できているから乗り越えられるのだ。

挑戦をする過程で得られる多くの貴重な経験価値が、天秤の反対側で重くぶら下がる"不安"とバランスを取ってくれるからだ。⚖️


人は変わろうと思ってもなかなか変われない。

なぜか?それは、

変わろうと覚悟したときの意識変化と、実際の行動変化までの“タイムラグ”に耐えられないからである時計


自分の行動を変えよう!と決心したとする。

その瞬間に意識はもう変わっている。

しかし、実際に行動が変わるかどうかは、神経回路と連動する筋肉の動きという物理的な問題なのだ。


最初からすぐに変われない事を覚悟して、時間がかかることを練り込んで、変わることを楽しんで継続することだ。


  ー苦しかったときの話をしようかー