『人との関わり』 | らいふたいむ

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日々の出来事や思うことについて書いていきたいと思います。

私は現在、言語聴覚士の専門学校に通っています。

学生だろうが社会人だろうが、人との関わりはあるわけで。

学生内でも『ちょっと変わっている』と言われる人は確かにいます。

何か感覚が違う人、言葉で人を傷つけてしまう人、相手の気持ちを考える事が苦手な人。

そうゆう人と実際に対峙した時、大多数の人は防御及び何かしら攻撃をする方に向かう人が多いのかなって思います。

『あの人嫌だよね』って。

でも本当にそれでいいのか。

コミュニケーションが困難な方々や、何らかの障害のある方達の為に何ができるかを考えていく事が重要なのに、『ちょっと変わっている』ということだけで、攻撃してしまう。

それって思考停止じゃない?

『私は悪くない、あの人の話が分からない』
『あの人がいると話がまとまらないよね』
って。

それに便乗して、よくあの人を知らない状況なのに、自分で確認もせずに攻撃にまわっていく人もいる。

そんな状況が実際にあるのが現状です。

いじめって『いじめられている方にも原因がある』と言いますが、私は違うと思っています。

いじめてる方は『自分がいじめてる』という自覚がないかもしれない。

自分がそうゆう事をされたら嫌という事が想像出来ないのかもしれない。

自分がされたら嫌だなって思っているけど、悪意で人を傷つけてしまう。

だからいじめが無くなる訳なんてないですよね。

どんな状況でもいじめてる方が悪いと思っています。

そんな場合、いじめを受けている方は逃げてもいいじゃないですか。

環境を変えれば状況が変わるかもしれない。

もし、『あの人嫌だよね』って同意を求められたとしたら…。

結局は『自分がどうなの?』って事で判断できればいいのかなって思います。

ちょっと変わってたって自分がいいと思うなら、関わっていけばいいじゃないですか。

だって色んな価値観があるから面白いし、『何でこうゆう態度なんだろう』って考えることが面白い。

もしかしたら自分がその人と関わる事で、その人の中で何かが変わるかも知れない。

いい意味でも、悪い意味でも。

それはあの人が『かわいそうだから』関わってあげたいとかじゃなく。

変わってようがいまいが同じ人間なんだから。

別にその人と関わってることを見た周りから批判されても構わない。

人はみんな違うもの。

関わらないのも自由ですが、常にフラットな見方をしていきたいと考えております。



話は少しかわりますが、


長女は『落ちた』って言うと満面の笑みで『キャハハ』って笑います。

絵本を見せると『きゃぁ』って声を出して喜びます。

それは意味を理解して言っているのか、絵を認識して笑顔になっているのかは、正直本人以外は分からないです。

脳や脳神経を勉強しても、前頭葉が損傷してるから〇〇で、側頭葉が損傷してるから〇〇の症状があるなんて決め付けることはできないし…。

そうゆう可能性があるとか、そうゆうふうに見られているって事を勉強しているわけで。

実際には一人一人が違う。

難しいけど、それでも言語に替わる何らかのコミュニケーションの取り方もあるんじゃないかって模索するんです。

きっと、きっと何かあるはずって…。

娘が何を思って、今どう感じているのかを少しでも知りたいって。

障害を抱えている多くの親で、同じように思っている人も多いのではないかと思います。

結局は『一人一人の個性に合わせた適切な支援をしていく』ってことになるのかな。

難しいなぁ。

まずは知識を貯めていこう。

茨城に行くとセイコーマートがあります。

個性は強いですが、面白い。


思わず買ってしまいました。(笑)


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