記憶(45) 君は墓場まで持って行く話があるか | 自分史の旅 tarojie

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黄昏の落ち葉が似合う年齢になった。何かを残すこともない過ぎ去る日々、何かストーリーを書いておきたいと思いブログを始めたものの面倒だと思う日もある。忘れること思い出すことできなくなるかもしれない。まだ真黄色な楽園ではない。少しは色もある萎びれ枯れて行く。

記憶(45) 君は墓場まで持って行く話があるか

 

午後のNHKBSは昼の後に名画を放映してくれるありがたい番組だ。一度『マディソン郡の橋』でブログを書いた。19年の10月だった。1995年の公開で撮影時はクリントイーストウッドが64歳ぐらいである。

 

もうそうは若くない老境に差し掛かったころの不倫だ。メリルストリープが45歳でちょうど役柄の年齢だ。ジオグラフィックスのカメラマンと平凡な田舎の主婦の不倫、何でこのストーリーがあんなに流行ったのか分からない。

 

ヤフーの知恵袋を借りると「ただの不倫」「ちょっとあってすぐ恋に落ちるとか安易」「中身スカスカ」暇持て余し自信喪失中の女性が、ちょっと会っただけの男に流されただけ」「家出てたらむしろ自己中で無責任すぎる」

 

「イーストウッドがおじいちゃんすぎて、流石にいい歳したヨボカップルの恋はノーサンキュー」「こんなんならもっと命をかけた献身的な恋愛映画とか他にもある」と酷評も多く、別にそんな世紀の傑作扱いなんてされてないとか。

 

4日間の不倫ストーリーだ。それなのに映画が流行っていた。阪神淡路の震災があってオウムのサリンがあった年だ。あの時は毎日地獄の埼京線に揺られ池袋経由で市ヶ谷まで通っていた。埼玉都民であった。くたびれたサラリーマンをしていた。

 

タバコも酒もしていた。不眠で電車の中で眠っていたこともあった。少し前までは24時間戦えますかなんて不倫どころではない。体力を限界まで使っていたようにも記憶する。毎日楽しくなかった時代だ。いつも不満が擡げていた。

 

そんな代理願望であの映画を見ていたのであったかもしれない。『それで今はどうなんだい』『もうおじいちゃんに尋ねるな。墓場まで持って行く話がう~とあるんだよ』『ブログにかけるか。バカ!』またあの映画を昼下がりの午後にひとりで見よう。

(2024年5月25日)