いつもの友人(53) 頑張る老人、あなたは私を憶えているか | 自分史の旅 tarojie

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黄昏の落ち葉が似合う年齢になった。何かを残すこともない過ぎ去る日々、何かストーリーを書いておきたいと思いブログを始めたものの面倒だと思う日もある。忘れること思い出すことできなくなるかもしれない。まだ真黄色な楽園ではない。少しは色もある萎びれ枯れて行く。

いつもの友人(53) 頑張る老人、あなたは私を憶えているか

また前回からちょうど1カ月であった。それでも今日は寒い1日であった。この1カ月で大きく春に進み日が長くなっている。いつもの友人はいつものようにコーヒーをすすって待っていた。もうそのような時間を幾度も繰り返している。

 

話題も固定化している。彼の奥さんを連れて治療に向かう京都行き、彼の住まい、彼の運送業、そして健康談義であった。概して変わることのない話題である。彼の運送業の荷主先も運賃を上げてくれたらしい。僅かしかいない従業員だが休みも必要である。

 

最近は人手不足で以前のように荷主から何でも請けることはできない。トラックも余っているようで人がいない。無理なことをさせないようだ。運転手に辞められると応募者が来るわけではない。彼はこの小さな会社をこの先どうしようと考えているか分からない。

 

特に法令違反しているわけではないが限界事業という日本の縮図が集まっているようなところだ。私は私でまだ個人事業主の小さなアルバイトをしている。先週に確定申告を終えたばかりだ。請負して源泉徴収されているのでいくら戻ってくるかの必死計算だ。

 

年金と足せば贅沢しない限り生活はできている。これでこのアルバイトがなくなれば確実に預貯金を崩しての生活になる。100歳まで生きるわけでもないだろうから何とかなるだろう。病気をすれば国民健康保険内で頑張るしかない。

 

何を贅沢なことをと他人から言われそうだ。私の友人が海外から帰ってくる。現地の奥さんを連れて帰ってくるのか気がかりだ。27年以上も海外暮らしだ。帰国理由は彼の母親が痴ほう症にかかっている事だった。彼は一人息子であった。

 

親孝行をどれだけしたかと他人がとやかくいうことでもない。確かに彼は大学卒業後自由に生きてきたことを私は知っている。大変だろうが気丈な母親はまだ彼を息子と認知している。救いはまだ彼を十分憶えていることだ。

(2024年3月8日)