いいかげん(9) いい(ゆ)加減人生の日々、国旗を掲揚し榊を奉納する
朝の食パンを齧りながらまたもや大谷選手のニュース番組が1時間以上にわたってあれこれと話している。彼の注目度は今や日本で一番だろう。名声、地位、金なんて考えないうちにすべて手にしたようなものだ。
もうすぐ71に届く孤独の老人の境遇から大谷選手を見ればその昔元ロッテ監督のバレンタイン氏のシンジラレナ~イの表現そのものだ。湯加減をいい加減だという表現がある。薪風呂で尋ねる人からいい加減だと答える。熱くもなく温くもなく最適だということだ。
最適な日々を送っているのかと思えばそうでもない。つまらないことに怯えて暮らしている。地位、自由人に近い。近い国の思い通りに言えない国よりも幸せかもしれない。名声、そんなもの有るものか。町会役員のボラティアが来季から待っている。
お金、金に『お』をつけて尊いものだと勝手に思わされている。中国が苦し紛れに保有ドルを売ればNISAで買ったものが不安定でまた資産が目減りする。『君、いい加減なんて一瞬ものだよ』と自身に聞かせていた。
先だっては建国記念日だった。遥か神代の時代から脈々と君のご先祖がこの地に生きてきたのだ。『君の家には榊がたくさんあろう』『神の地かもしれない』『もしかしたら南北朝時代の楠正成公の一族かも知れぬ。日の丸を掲揚したか』『木(気)が無いねぇ』
『家の榊は外来種だ』『家に国旗なんて無いだろう』『え~、断捨離した』『神棚もない』『榊も邪魔になって切った』『お金だけは無産労働者から見れば尊いものだ』『君の人生は、素晴らしい。正直でいい(ゆ)加減そのものだ』と人は勝手に思う。
(2024年2月13日)