ときどき日輝(60) 憧れそうもない相撲人生の解説、私は上手いと思っている | 自分史の旅 tarojie

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黄昏の落ち葉が似合う年齢になった。何かを残すこともない過ぎ去る日々、何かストーリーを書いておきたいと思いブログを始めたものの面倒だと思う日もある。忘れること思い出すことできなくなるかもしれない。まだ真黄色な楽園ではない。少しは色もある萎びれ枯れて行く。

ときどき日輝(60) 憧れそうもない相撲人生の解説、私は上手いと思っている

最近は相撲を見ている。よく彼らの体を見ているのだ。何となく見ていて体の張りでどちらが勝つかわかるような気がする。引き締まって素早く動ける力士がやはり勝っている。それも午後1時から見るBSに凝っている。

 

もちろん若い力士が多い。中にはもう引退ではないかと見える力士もいる。三段目、幕下では全体の番付から見て中位くらいだ。彼らの仕切りは短い。早く勝負が見れる。どの力士を応援しているわけでもない。どちらが勝つか勝手に想像して見ているのだ。

 

ある17歳の力士の体は大物になりそうな片鱗を持っている。筋肉質で動きもいい。それに上背がある。上位の幕下力士にも4勝していた。この力士は怪我でもしない限り今年中に十両まで上がるだろうと思われた。

 

これだけ力士がいて入門しては辞めて行く。上位まで行くのはやはり一握りだ。相撲は既に国際化を果たしている。諸外国の力士が多い。ウクライナの力士もいる。あの閉鎖的な世界は色気もない。青春のエネルギーをひたすら汗を流し鍛錬して勝負する。

 

十両、幕内になっても勝たない限り残れない。年月とともに衰え、怪我をして負け越し最後には引退になる。アスリートの運命だ。協会に残れる保証もない。第2の人生どのようになっていくのだろう。勝手に私は心配している。

 

おおよそ想像すれば中学を出て力士になって一時騒がれて名を上げても怪我で引退する頃は30歳くらいだ。それを残る人生は相当長い。学歴もなくひたすら鍛えた体も持て余してしまう。プロレスもひと頃のように人気もなく受け入れも大変だ。

 

成功して部屋持ちになれればよいが相撲人生に憧れて敗れて故郷に帰る力士はどのように果てるのかモニターの向こうに思いやった。私はこの世界に憧れそうもない。あんなに食べて寝て太って鍛えて『ハッキョイ、張り手にグラグラ残れない』

 

私から見る偏見ジジイの相撲人生講談だ。今場所は照ノ富士関優勝で終えた。

(2024年1月29日)