いつもの友人(22) ワクチンは終えた | 自分史の旅 tarojie

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黄昏の落ち葉が似合う年齢になった。何かを残すこともない過ぎ去る日々、何かストーリーを書いておきたいと思いブログを始めたものの面倒だと思う日もある。忘れること思い出すことできなくなるかもしれない。まだ真黄色な楽園ではない。少しは色もある萎びれ枯れて行く。

いつもの友人(22) ワクチンは終えた

いつもの友人といつもの所でいつもの時間にあった。いつも同じオーダーだ。我々は革新的ではない保守である。いつもの政治音痴の世間話だ。

 

今日はいつもより焦点がなく宗教の話し、行基、空海、最澄。この辺りには溜池が多く行基、空海の功績が多い。それから南米のインカの話し。インカには文字が無くてマヤに文字、数字もあった。

 

あれ程近隣であったのになぜ伝わらなかったのか。インカの道もマヤの遺跡も素晴らしい。はたまたモンゴルの話し。モンゴル人がアジアからヨーロッパにかけて大帝国を築いている。その当時どれだけのモンゴル人がいたのであろうか。

 

人口は少ないはずだ。ヨーロッパの辺境まで駆け抜け帰ることなく彼の地で散っていったと想像もつく。限定しない話はタイムアップで終えてゆく。

 

そんな中、夕刊の話をした。夕刊を読んでもネット記事で十分足りているところが多くなった。スポーツ新聞にしても記憶するところ確か140円であったはずだ。買うという行為すらしなくなった。

 

関西のオリックス、阪神が好調でオリックスを第一紙面に掲載した某新聞は2014年の秋以来掲載していないと言っていた。オリックスでは売れないらしい。

 

堀江健一氏の太平洋独りぼっちからその昔400年以上、支倉常長一行がローマ使節として赴くために太平洋を横断している。そんな快挙は鎖国日本に葬られてその当時誰も知る事は無かった。

 

何れ私は語る事も無く朽ちて散っていくのだが。幽霊の正体見たり枯尾花。もうそこに何にもなくなって消えていた。帰りの道すがらそんなことを考えていた。お前影が薄いぞと誰かに言われそうだ。

(2021年7月1日)