こんにちは!

 

お久しぶりです、

 

「忙」という漢字が

 

「心を亡くす」と書くことから

 

 

あまり使いたくないと

 

思春期から思っていたのですが

 

 

ああ心をなくしているな

 

と思う忙しさでした。笑

 

 

 

笑うしかない。笑

 

 

 

 

 

ということでまた

徒然と書いていきます!

これからもお付き合いくださいね🤗

 

 

 

 

 

またダイエットレシピや

 

健康系知識や大会について

は載せていきますが

 

 

 

 

今日は久しぶりに、

 

 

 

摂食障害の時の思考や

 

 

脱却するための一つの思考を

 

 

お伝えできればと思います。

 

 

 

 

長文ですし

 

人によっては不快な文章も

 

含まれるかと思います。

 

 

それでも私の価値観を

 

あらわに表現していきますから、

 

 

必要な方のみお読みくださいね。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

私が摂食障害の時、

 

 

「拒食」と

 

「過食嘔吐」を繰り返していました。

 

 

 

 

「拒食」の時は

 

糖質も脂質もほぼカット。

 

根菜をほぼ取らず、

 

葉物とカロリーが0のものを

 

たくさん体に入れ、

 

基礎代謝分のカロリーは

 

全くとれず、

 

生理も止まりました。

 

激しい有酸素をして、

 

 

ヘロヘロで、

外食もせず、

 

 

コカコーラ0ばかり飲んでいました。

 

 

 

口に入れることが怖くて、

 

 

がんばって

1.2口噛めても、

 

 

飲み込めない。

 

 

そこで食事をやめたり、、、

 

食べることを考えるだけで

 

 

それがいやで

 

 

涙が出ていました。

 

 

 

 

 

 

「過食嘔吐」の時は

 

 

 

思い出したくもないですが、

 

 

 

吐くために食べ物を買い、

 

 

1日10〜20回以上、

(1回のお手洗いで数回・・)

 

 

 

嘔吐を繰り返していました。

 

 

 

そして

吐くために水を飲んでいました。

 

 

 

 

夕方には頭もぼーっとしますし、

 

 

体の疲労もすごい、

 

 

胃もキリキリするし、

 

 

胃液で歯が溶けたような感覚というか、

 

 

口の中はすっぱいですし、

 

 

 

 

泣きながら

やめたいと思いながら苦しみ、

 

 

 

手は震えるし、

 

 

顔はパンパンにむくむ。

 

 

 

 

吐きやすい食べ物もわかってきて、

 

 

 

そういった類いのものを食べる。

 

 

※そういう知識はみなさんに

 伝えたくないのであえて書きません。

 

自論ですが、

 

人は選択肢が頭に入ると

 

それを選択してしまいます。

 

 

私は友人が数人、

 

死を選択しています。

 

何もできなかった自分を

 

攻めたと同時に、

 

 

この情報社会で、

 

不要なものまで入れる必要がない、

 

方法や選択肢さえなければ、

 

 

こんな結果にならなかったのでは

 

と強く思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

当時のことは、

 

 

今、元気にしている私でも

(自分でいうのか、、という感じですが笑)

 

 

思い出すだけで

 

すごくきついですし、

 

悲しい気持ちになります。

 

 

 

私は5年ちょっと苦しみました。

 

 

 

 

 

このブログを読む方は、

 

 

大切な人の障害を治したい方もいるでしょうし、

 

 

 

 

治った、と思ったのに

 

今、苦しんでいる方もいるでしょうし、

 

 

 

 

知識(食べたら吐けばいいという誤った選択肢)

を得たが故に

 

吐き続けている方もいるでしょうし、

 

 

 

 

治るためなら

 

なんでもしたいと

 

喉から手が出るほど

 

苦しんでいる方もいるでしょう。

 

 

 

 

 

私のインスタにも、

 

「助けてください、

 教えてください。

 どうすればいいですか」

 

 

 

 

と連絡をする方がいます。

 

 

基本的に

 

私は返信したいと思うのですが、

 

 

 

一方で、

 

 

 

 

私の人生は

あなたのためにあるのか、

 

 

はNOだと思っています。

 

 

 

 

私はみんなが

健康で

 

毎日楽しくあればいいな

 

 

と心から願っていますが

 

 

 

 

相手を思えない方や

周りが見えない方に

 

付き合って

 

 

振り回されている時間はありません。

 

 

 

 

きちんと未来に向かいたいと

もがいている人に

 

私ももがいたからこそ、

 

 

 

情報や方法を届けたいです。

 

 

 

友達もそうだと思っていて、

 

 

 

 

・有名だから一緒にいる

・お金があるから一緒にいる

・目標のために利用できるから一緒にいる

 

 

 

それらは、

 

 

本当に

 

 

価値があることなのか。

 

 

 

 

知識がないのは当たり前、

できないのも当たり前、

 

今やこれからが大事なのに、

 

 

それをないがしろに、

 

自分が優位に立ちたいが故に

 

知識を振りかざす人、

 

 

まるで人格を否定するような人に、

 

 

 

あなたの魅力なんかわかりっこない。

 

 

 

 

そんな人の言葉、

 

 

 

聞かなくていいのです。

 

 

 

 

 

理解して選択するのはありだと思いますが、

 

 

 

私は

 

自分の人生を何に投資するか

 

自分で決めたいし、

 

 

見えない

つながりこそ大切にしたい

 

 

と思っています。

 

 

 

 

 

だから

 

この人は人を(というか私を)

不幸にする人だなあ

 

 

と思ったら

 

 

 

「友達ではいられません」

 

 

 

この年齢になっても

 

 

本人に伝えることがあります。

 

自分でも自分が

はっきりしていて怖い。笑

 

 

自分のために言いたいのではなく

 

相手のためにも言った方がいいのか

 

考えた上で、

 

いうようにはしています。

 

一応ね、、多分、、、笑

 

 

 

 

 

人生は

 

 

 

自分がつくるのです。

 

 

 

 

 

誰かのためにではなく

 

 

まず自分のためにあるのです。

 

 

 

 

自分が面倒をみれてこそ、

 

他の方も面倒を見るようになってくれると

 

私は思っています。

 

 

 

 

もちろん私もまだまだ

自分の面倒は見切れていませんが、

 

 

 

楽しく

健やかに

 

やるしかないのです。

 

 

 

 

 

 

「助けてください」

 

 

は時として脅迫にもなり得ると思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

境界性人格障害

(境界性パーソナリティ障害)

(ボーダーライン)

 

 

をご存知でしょうか。

 

 

 

下記のような方です。

・現実または妄想で、人に見捨てられることを強く恐れ、不安を抱いている。
・対人関係の変動が激しく、コミュニケーションが安定しない。
・気分や感情がめまぐるしく変わり、周囲の人々がついてこられない。
・感情のブレーキが効かず、ちょっとしたことで癇癪(かんしゃく)を起こしたり、
 激しく怒り、傷つきやすい。
・自殺のそぶりや自傷行為を繰り返し、周囲に動揺を与える。
・自己を損なう行為(薬物・アルコール・セックス・万引き・過食・買い物など)に
 依存しやすくなる。
・いつも空虚な気持ちを抱き、幸せを感じにくい。
・生きることに対して辛さや違和感を持ち、自分が何者であるかわからない感覚を抱いている。
・強いストレスがかかったとき、一時的に記憶がなくなり、精神病状態に似た症状を
 起こしやすい。

 

 

 

 

こういった傾向を

持っている人かなと思った際は

 

 

返信をしないことがあります。

 

 

 

これは

 

私も共に闇に落ちる可能性があるからです。

 

 

私も十分、

 

根暗というかメンヘラだったのでw

 

 

わからなくはないんです、

 

あなたの気持ちが。

 

 

 

 

 

だけど、

 

闇があるから輝けているわけで、

 

 

 

闇が深ければ深いほど輝くわけで、

 

 

 

傷がわかるから傷を癒したいわけで、

 

 

 

闇だけを見ると

 

 

闇に飲まれることを

 

 

私は感じたから、

 

 

 

 

 

自己防衛をさせてもらっているわけです。

 

 

 

 

 

 

 

一生懸命さが伝わるメッセージや

 

ライトなメッセージは返信しますから、

 

 

 

気にせず連絡くださいね。

(時間がない時はお待ちください。)

 

 

 

で、

 

 

まず、

助けて欲しい人は

 

 

理解すべきなことは

 

 

 

「すぐにできることはない」

 

 

ということです。

 

 

 

なんでも変わらない。

 

 

 

 

あなたの家族や

 

過去や今の周囲が

 

 

すぐに変わるなんてことはない。

 

 

 

 

習慣も能力も筋肉も、

 

すぐには変わらない。

 

 

 

積み重ねるしかないこと、

 

 

 

それが近道だということを、

 

 

理解することがスタートです。

 

 

 

 

 

その上で例題というか、

 

 

私の経験を3つお話しします。

 

 

長い!笑

 

 

でも、

 

私にとって心が震えたお話だから。

 

 

あなたの胸も

 

 

温まるといいなと思って。

 

 

贈ります。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

社会人になって1年目が終わるころ、

今の時期だったかと思います。

 

食べ物に執着していた7年前でしょうか、

 

 

ランチで野菜ばかりを食べていた時、

 

 

よくいってたお店

(福岡、天神にある

 野菜ビュッフェがあるお店です🤗)

だったんですが

 

 

 

店員さんが、

 

バレンタインだから、

 

 

 

明らかにコンビニで買った

 

数百円のケーキをお皿に出してくれたんですね。

 

 

私、優しさに

 

ホロリときました。

 

 

 

その時思ったんです、

 

 

ジャンクなものたくさん食べて

 

ガハハと笑っている

 

知り合いのおじさん社長さんとか、

 

 

 

美味しい美味しい思って

 

笑って食べてるから元気なんだよなあって。

 

 

 

カロリーとか、

 

栄養素とか、

 

化学調味料とか、

 

 

気にしすぎて、

 

 

人が作ったものや、

 

 

作っていなくて買ったものであっても、

人を思って買ったものは、

 

どれほど愛が詰まっているかって。

 

 

 

裏側の工場にいる人たちも、

 

 

それを考えて普及させているメーカーも、

 

 

誰一人

 

 

吐くことを望んで作った商品なんてないんです。

 

 

 

 

当たり前ですけどね。

 

 

みんな、

 

幸せになって欲しくて、

 

 

食べて美味しい

って笑って欲しくて、

 

 

 

作ってるし、

 

 

そうやって

人に食べ物を渡したり、

 

出したりしてるんです。

 

 

 

もちろんそこに

「不要」なものは混ざっているかもしれない。

 

 

 

人によって

 

「必要」

「不要」

 

の基準も変わってくるわけですが、

 

 

見えない「愛情」がのっかった

 

 

そのケーキは

 

 

 

もはや泣きながら、

 

こっそりカウンターで食べたことを覚えています。

 

 

 

それで、治ったりはしなかったですけどね、

 

 

 

食べ物を食べる勇気、

 

いつか

 

笑って食べたいという希望、

 

 

 

それをもらったんです。

 

 

 

その店員さんは何気ない

 

 

気持ちだったと思います。

 

 

でもその何気ない優しさが

 

 

人を救うこと、

 

 

 

あなたも

 

 

 

きっとどこかで

 

 

感じてるはず。

 

 

 

 

希望を捨てるにはまだ早い。

 

 

あなたの周りには

 

 

優しさが溢れていることを思い出して欲しい。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

というのも、2つめのお話ですが、

 

 

そう、もう7年たったんですね、

 

 

昨日のバレンタインデー。

 

 

 

 

 

ゆこは減量を開始したわけですね、

 

 

 

 

 

 

徹底管理とか、

 

 

 

同じ食事を美味しく作って

美味しいと感じ続けることとか、

 

 

 

できるわけですよ。

 

 

 

覚悟を決めれば、

 

誰だって、

 

 

きっとね。笑

 

 

 

 

 

だけどね、

 

今日朝見たら、

 

 

 

冷蔵庫に

 

 

旦那さんから、

 

 

「いつもありがとう」

 

って

 

チョコケーキと

チーズケーキが入っていたんです。

 

 

 

 

 

 

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とっても嬉しかった。

 

 

「減量なのに!」

 

「減量だから食べれない」

 

 

これは、

 

 

勿体無いと思うんです。

 

 

 

 

確かに去年、

 

 

 

減量の方法がわからなくて、

 

 

 

会社でもらうお菓子のお土産を

 

どう断るかとか、

 

 

誰かにあげるとか、

 

 

してたわけです。

 

 

 

 

 

もちろん選手で大会間近なら

 

 

断つという選択は、

 

 

必要な時があります。

 

 

 

 

 

だけど、

 

 

そのお土産だって

 

 

いくら30個入りの1個だったとしても

 

安いものだったとしても

 

 

あなたを思って買ったわけで、

 

地元の人が届けたくて

 

考えて安くして作っているわけで

 

 

 

温かい食べ物なんですよね。

 

 

 

 

 

作られている食べ物の構成が

 

糖質と脂質だったとしてもw

 

 

 

カロリーが高かったとしても、

 

 

 

 

それを極端に

 

「無駄」と呼ぶとしても

 

 

 

 

「無駄」こそが

「人」の「見えないもの」

が詰まった

 

 

最高級の「人間らしさ」だと思うんです。

 

 

 

 

 

これは、

 

怠惰に過ごしましょう

 

 

ということを提唱しているのではなく

 

 

 

 

「見えないもの」を感じることは

 

 

 

とても「人」らしいと思うのです。

 

 

 

 

 

だから摂食障害を苦しむあなたも

 

 

 

見えない不安や恐怖や焦りに

 

 

押しつぶされそうな夜もあると思いますが

 

 

 

それは人間らしいことで、

 

 

 

見えてない「愛」「優しさ」「想い」も

 

 

もっと感じられるのです。

 

 

 

 

最後に・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

3つめのお話。

 

 

 

私の大切な家族が

 

 

 

2017年6月、

 

 

もう長くないと宣告され、

 

 

私は、

 

 

究極に悩んだんです。

 

 

 

東京大会前に

 

 

それを聞き、

 

 

今帰ることは、

 

 

 

緻密に時間も食事も管理して

 

ここまでやってきたのに、

 

自分のペースを乱すことだと

 

 

 

 

そう

思ってしまった自分が

 

 

本当に嫌だったとともに、

 

 

 

帰省して会うことと、

 

帰省しないで大会に臨むことの、

 

 

 

どちらが後悔しないかを

 

 

考えた時期でした。

 

 

 

結局

 

帰って、生きている時に

 

 

会うことができました。

 

 

 

 

 

 

何を選んでも、

 

 

 

 

後悔はするかもしれない。

 

 

自信なんてつかないかもしれない。

 

 

 

 

 

それでも

 

「明日」はきてくれるし、

 

 

 

結果や形ではなく、

 

 

見えないものを

 

大切にすることを

 

 

 

 

本当にこれからも選びたいと思った、

 

大会前でした。

 

 

 

 

 

この選択は、

 

私にとって

 

 

「人」らしい。

 

 

でも違う選択も

 

「人」らしいと思います。

 

 

 

 

 

 

サマースタイルアワードに

2018年は出ないことを決めた私ですが、

 

 

結果よりも

 

 

見えないところを

 

見て

 

 

応援してくれる大切な人、友達、

 

B3のみなさん、

 

 

 

 

私も、

 

 

これを失わずやっていこうと思うのです。

 

 

 

 

 

 

結果、

 

 

吐いても気にしないこと。

 

 

 

 

絶対直さなきゃ、

 

とか

白黒つけなきゃ

 

とか

すぐにやらなきゃ、

 

 

 

 

これはまだ、

 

「渦中」です。

 

 

 

どっちでも

 

いいんです、

 

 

その見えないプロセスに、

 

 

 

自分は、

 

他人は、

 

 

人は動かされていくのです。

 

 

 

 

 

 

希望を捨てるには

 

 

まだ早い。

 

 

 

きっと

 

いつか

 

なんでもできるようになる。

 

 

 

これからも伴走するので

 

 

ともにやっていきましょう。

 

 

 

 

 

愛を込めて💖

 

 

遅ばせながら

ハッピーバレンタイン💖

 

 

 

ゆこ